探しものは見当たらず仕舞いだった
2021年9月9日, 11日

♣ 独 行 “2日かけて佐井寺を彷徨う” ♣

 9日 佐井寺南が丘町内 

「探しもの」は北摂式内社20社の社号碑建立に与って力のあった菅廣房の墓石。吹田市の文化財ニュースに載っていた「菅廣房は元文元(1736)年に佐井寺村の庄屋宅で亡くなったといわれ、その墓と伝えられる『菅氏墓』と刻まれた墓石が佐井寺南が丘の墓地に現存しています」という記事が頼り。初日の今日は佐井寺南が丘のご町内をくまなく探したが、範囲内は殆ど新しい街並みそのものばかりで、(乃公の眼力を信ずれば)墓地そのものがなかった。

=佐竹台6BS→佐井寺坐伊射奈岐神社→谷上公園周辺→南が丘公園周辺→南が丘一周→伊射奈岐神社→佐井寺北BS=南千里=阪急山田=  【今日の総歩数 10,746 歩】

探しくたびれて帰りみち佐井寺坐伊射奈岐神社に立ち寄ったら、狛犬さんが出迎えてくれた。以前気付かなかったが、この吽形の頭にはたんこぶ状の角がはっきり。これをもって今日の収穫とするか。

 11日 佐井寺町霊苑 

墓地の移転があったのかもしれない、そう考えてGoogleMapの航空写真を探したら、500bがとこ北北東(佐井寺4丁目)に佐井寺町霊苑というのがある。ひょっとして、、、と淡い期待をもって改めて出かけた。

探したのだが、結構広くてしっかり汗をかいた。古い(明治以前)墓石が多く、碑面の剥落も目立って結局見つけられなかった。ここかも知れないが、ここではないのかも知れない。
ㅤということで、またまた伊射奈岐神社に戻り、社号標石の1段目台石の左側刻印を撮ってオワ。「菅廣房建」 これは前掲文化財ニュースに掲載の「台石に刻まれた菅廣房は建碑のため資金20両を提供した山口屋伊兵衛(大坂の人という以外詳細不明)のこととされ、建碑に尽力したことの感謝として名前が刻まれたといわれています」そのものである。

見当たらず仕舞い。残念。多分、市立博物館にでも聞けばわかるのだろうが。。

→高野台緑地→佐竹台6丁目=高野台中学校前BS→佐竹台小学校→佐井寺小学校→佐井寺町霊苑→佐井寺坐伊射奈岐神社→佐井寺北BS=亥子谷→高野台緑地→  【今日の総歩数 7,498 歩】

2日間の歩数〔上記2ヵ所〕    ̄|△| ̄   ルートマップ省略