♣ 独 行“山脈自然歩道南半分を歩く” ♣
あれはいつのことだったか...だいぶん前だったが、銭原から北半分を歩いて倶楽部前からバスに乗って帰ったことがあった。“そうだ、これ以上ない快晴の下歩かずんば非ず”と飛び出したら まあバスがうまいこと来る、間に合う。うまくゆき過ぎて食べ物はおろか飲み物さえ調達の暇がなかった。上音羽口を過ぎて「次は倶楽部前」のアナウンスにピンポンを押したら何と運転手宣わく「倶楽部前で宜しかったですか⤴?」「はい」と返事したものの、心中穏やかならず。(降りるから押したのに!) |
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降りて深呼吸して やや反省。(ホンマニ降りはるんでっか?ここで降りる人ってそう居てはりまヘンデェ。間違いおまへんな?)というドライバさんの親切心からだったろう。言わんこっちゃない。店はおろか自販機一つ見当たらない。でもなァ、ここが山脈自然歩道南半分の入口なのでほかの選択肢がない。斯くして何にも無しの1時間半にわたる山道歩きが始まる。(夏だったら自殺行為だよ) 因みにこの地点の標高凡そ430b。 |
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バス道からの入口に標識「←多留見峠/銭原→/山脈自然歩道」。踏み込みはキレイなのだが、 |
道はだんだん荒れてきて昨日の雨でジュクジュク。バイクのタイヤ痕もあって(こんなとこ入ってくるなよ!) |
最初の乗越。やっぱりあった。十数年前からそのままの放置車両。鉢伏自然歩道の岩阪近くにもあった。(茨木市さん何とかしませんか) |
めげた気分は深呼吸で一掃。。。若葉がきれいだ。 |
右向うから来て手前へ進む。onmouse→標識UP。「←泉原・上音羽→/山脈自然歩道」(左へ行くな) |
click→UP |
林道合流点(ここから終点まで簡易舗装が続く)。多留見峠を確認し損なったが、ここがそうだったか?地形図によれば、この「峠」は自然歩道の峠でなく、直交する山道の峠らしい。標高497bだが。 |
北東方向中景の山頂上近くに家並みを望む。Mapでも同定できない。(亀岡市茨木台NTか)それにしてもこの辺ずっと胸突き八丁続き。キビシイ。 |
地形図上620bピークを巻くこの自然歩道最高点。標高凡そ590b。ヤヤ、かの竜王山(標高590b)と同じではないか。よう来た。それにしても誰も来ないし行き合わない。車も。せめて自撮りを。 |
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ここからは下り一方。いくつもの尾根の先端を巻きながら高度を下げてゆく。 |
この林道は新しいようだ。曲がりくねった渓谷を土管ならぬ鉄管(φ1b程)を埋めて上に道を通している。その中に優雅な橋桁をもった橋が一つだけあった。 |
東海自然歩道分かれ。向うから上がってきた東海自然歩道がここで右折して左向う下の道を行くことになる。「東海自然歩道←」の標識板を括りつけてある標柱2本のうち右側には「北摂霊園↓/泉原↘/東海自然歩道」とあった。ㅤここから下記の合流点までは東海・茨木両自然歩道共通。というか、共用。 |
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バス道に出てきた。実質的に山脈自然歩道はここまで。黒い標柱は東海自然歩道の「この山道に入れ」標識。 |
左写真の標柱にカメラを載せて自撮り。ここは354b。onmouse→UP |
棚田の向うに散在するのが泉原集落。そこへあとひと歩き。遥か遠く生駒の山なみ。click→UP |
ここにも山脈自然歩道の標識が。思わずシャッター。そうか、泉原BSから来ると判り辛いんだろうな。(この辺で今日初めてのドリンク1本ラッパ飲み) |
泉原城跡についての説明板要約:「城跡はここ清渓小学校の敷地を中心として三方に派生する尾根上に築かれた城(砦)」「築城は慶応3年(1340)、廃城は永禄年間(1558〜:いずれも勝尾寺文書による)」だそうな。 |
茨木市役所北辰出張所の前に「←山脈自然歩道入口」の標識。そう、やっぱり さっきの林道分かれが入口なのだ。 |
泉原BSそばに反対側の山へ入ってゆく道。左の標識は「キリシタン自然歩道入口→」。 |
泉原BSから市役所出張所望見。三叉路標識は「↑青少年野外活動センター/↑忍頂寺スポーツ公園/↑キリシタン遺物史料館/←大阪北摂霊園」 ここは258b。 |
そんなこんなでうろうろキョロキョロしていて振り向くと目の前にバスが。阪急茨木へは間に合わなかったと諦めていたのが数分遅れで来たのだ。慌てるうちに知らん顔のドライバさんは発車してしまう。仕様がない。千里中央行きを待とう。あと約半時間。 =千里中央=倶楽部前BS→(山脈自然歩道)→“廃車乗越”→多留見峠→“620b巻き地点”→東海自然歩道分かれ→自然歩道入口→泉原BS=千里中央= |
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今日の総歩数 10,646 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |