尼崎の寺町で迷子になる  2021年3月11日

♣ 独 行“尼崎市内の御坊巡り” ♣

まあこれほどまでとは思いもしなかった。阪神尼崎駅前に位置する寺町。いちばん大きい本興寺はその外れだが隣り合っているので探すとなったら一大事。塚口から5`余を延々歩くだけで、あとは楽勝と思ったのが甘かった。という言い訳を下記Mapでご確認の上本文をご覧下されい。  =(阪急淡路/十三/)塚口→正玄寺

阪急塚口駅から北東約200m行くとここに至る。門柱の看板「真宗円融山正玄寺」

境内の楠は市の保護樹木(らしい)

正玄寺は真宗興正派寺院で、興正寺塚口別院ともいい、かつては塚口御坊とも呼ばれていた。応永16年(1409)創建。以後当寺を中心とする寺内町として発展した。天文年間(16世紀半ば)に一向一揆が立て籠もった際、周囲に土塁と水堀が巡らされ塚口城となった。現在もその痕跡が残るという。

来た道を戻り西行。阪急伊丹線踏切を渡り、塚口駅北口を左横目に見て600bがとこ歩き県道142号線に出、左折。

さあ、これから5`の道のりをひたすら南下する。まずは阪急神戸線のガードをくぐる。

山手幹線を横切り、庄下川を渡ると目の前は名神高速。ここまで1.2`。

そして700bがとこ来るとJRを越える陸橋。

陸橋を下ってもまだまだ先は長い。

400bで橘通りの交差をまたぐ芦原陸橋を渡る。この四つ辻には横断歩道がないのだ。

さらに1.7`でようやく阪神電車の高架が見えてきた。

ここまでほぼ真っすぐの道なり5`(あれ、計算合わん。5`は前後のごちゃごちゃを混ぜているからか)。おまけにJRの高架橋と橘通りの陸橋の上り下りがプラスされ、、、バス道の直線道路って疲れる。阪神のガードをくぐって幾許もなく寺町に入る。まあこれだけ集まるか、という状態で、肝心の探訪寺院名が危うくなってきて狼狽える。おまけに頼りにしていた“寺内町”や“御坊”の文字が見当たらない。右往左往してようやく飛び込んだのが此処。

山門脇の寺号碑「大堯山長遠寺」

説明板はものの見事にピンぼけ。読んだ限りでは“寺内町”“御坊”の文字は見当たらなかった。

長遠寺は日蓮宗のお寺。大本山本圀寺(六条門流)の旧末寺であり六条門流三長(他に長満寺、長源寺)の一。観応元年(1350)開基と伝える。もと市場巽(現在の東本町)にあったが尼崎城築城に際して現在地へ移転したという。本堂と多宝塔は国の重要文化財。

多宝塔と鐘楼

日蓮像と七字名号の碑

ここにもやはり。。日蓮宗の寺院には妙見宮がつきもの。

芭蕉の句碑 ♪はつ時雨さるも小蓑をほしけ也(初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり)

そして、最後に此処。

山門脇の寺号碑「大本山本興寺」

ここの説明板にも“寺内町”“御坊”の文字は見当たらない。

本興寺は法華宗本門流の大本山。応永27年(1420)当時の尼崎城主である細川満元の帰依を得て開創された。元和3年(1617)領主戸田氏の尼崎城築城の際、代地として現在地を得て移転し今日に至っている。本能寺が伝道の中心地であったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置された。

三光堂(国の重文)。室町時代後期の建築。拝殿は1597年に豊臣秀吉・加藤清正が再建。

左が開山堂(国の重文)。1558年建立され、大物から移築。

方丈(国の重文)。1617年現在地で建立。

三重宝塔。境内の一番北側に建つ。

本興寺裏の地図。本興寺は寺町に含まれない(開明町)のだが、ここでは一緒になっている。ソレデイイノダ。

一件落着。阪神尼崎駅15:39発大阪梅田行き急行の人となる。

阪急のみならず 阪神電車まで駅名が大阪梅田になっていることに改めてびっくり。JR大阪駅前は(地下も含めて)依然工事中状態が続いている。気が付いたら“ここ何処?”ということになりそう。そう思いながらJRに乗り換えて帰途に就いたのであった。

今日の総歩数 12,970 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら