予定より6割多く歩く羽目に  2020年11月8日

♣ 独 行“猪名川町の春日神社巡り” ♣

「北摂の春日神社巡り」というタイトルを掲げて1年近くなる。北摂の範囲を「大阪・兵庫」で淀川以北、武庫川以東、さて北は京都府境迄か、となって困った。丹波は含まないけどその手前までとして、やはり猪名川町を外すわけにはゆくまい。そういうことで今日の3社巡りが決まった。でもスタート地点が遠い。
=山田⇒(MR)⇒蛍池⇒(阪急)⇒川西能勢口⇒(能勢電)⇒日生中央=(阪急バス)=杉生BS 一番早い連絡でスタート地点まで2時間半チョイかかるのだ。

能勢電日生中央駅前のBS1番乗場に「杉生」と行き先表示がある。待つほどのこともなく向こうの木の影のバスがやってきた。12:00発

途中26あるBSの半分以上をすっ飛ばして、その割にはほぼ時刻表通りに終点杉生に着いた。ということにしておこう。カメラの記録では8分早かった。

R507を100b辿って左折すると左遠方に愛宕山(514b)の鋭鋒。視線を東方に転ずると能勢へのR602の谷間。そうだ、杉生から高岳に登ったのが平成2年11月でちょうど30年前。変電所手前でパトカーの職質に引っ掛かったヤーな思い出。あの日は平成天皇即位の礼直前、今日は立皇嗣宣明の日当日だ。方向が違うから大丈夫だろうが。

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R507から南折して200bがとこ来て何となしに右を覘いたら“あ、あれって鳥居ではないか”(よう気が付いた)何となしに覘かなかったら行き過ぎていたに違いない。

それから100b余り爪先上がりの道をたどるとこの石の鳥居。扁額も社名碑もないけど「間違いない」

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今日の第@ターゲットは杉生に坐す春日神社。といっても境内には何の説明もない。社名表示すらない。写真左から二の鳥居、拝殿、本殿覆屋…拝殿奥に「立入禁止」札があってこれ以上確認は不可能だった。因みに Strictly speaking, 此処は杉生ではなく「猪名川町島内垣内」なのだが、杉生BSから近いので。済みまセン。

境内脇の広場にこの掲示板があったのでその前で午餐を遣わせてもらった。そうなのだ。この掲示板に明確に「春日神社」と書いてある。鳥居にも燈籠や狛犬にも奉納銘や年月日が記されているのに、何で社名の一つくらい書いてないんだろう。見落したんだろうか?この「島のお大師さん」表示の丁寧さとの落差を思ったことだった。

杉生点景@ 春日社境内から“柿鈴なり”

杉生点景A 石垣にお濠まであって“お城”か

猪名川の流下する“谷底平野”の“篠山道”沿い。間違いようのないバス道を一路南下すること3`余。来る時のバスで第Aターゲットは社名を冠したBSがあったよな。ン、あった あった。因みに今日時点のGoogleMapストリートビューには無い。

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バス道沿い一の鳥居と社名碑。onmouse-鳥居の陰の立派な狛犬

102段の石段参道は二の鳥居手前から始まる。

石段途中に社名扁額の掛かる建物、、バラックみたいだが…乃公寡聞にしてよくわからない。2階部分は右下写真の背景になっている

拝殿。左手で何か工事中だったのでそれを写さないよう気を遣った。

覆屋内の本殿。

拝殿前。普段と違った逆の角度でセルフポートレート。

【まとめ】笹尾春日神社。写真左から二の鳥居、拝殿、本殿。較べてどうのこうのではないが、この春日社が今日訪れた3社中一番立派、且つよく“手入れ”されており、在の“鎮守様”として守られていると感じた。

左の写真ではよく分からないが、猪名川は中央の森のある丘陵地沿いに南下し、ぐるりと回ってバス道沿いに戻ってくる。右地形図参照。人はその生活の中で卍印の場所を峠で越え、後には現状の切通し(県道12号線)になった。

杤原とちはらに坐す八幡神社。当社の本殿は兵庫県指定重要文化財。右上の地形図では「杤原」の右の鳥居印がそれ

猪名川に架かる木間生こもう橋。上の地形図では「木間生」の上の橋。因みに地形図には「こもお」とあって乃公のIMEでは問題なく変換するが、橋欄干表示の「こもう」だと出ない。ここでは地元優先にしておく。

さてもさても困った。橋を渡ってすぐ右に今日の第Bターゲット・木間生の春日社がある筈。だのに道はあるのにお社らしき雰囲気は全くない。おまけに川沿いの藪の中でオッチャン二人一所懸命何かしてござる。見ていたら向こうから「山芋掘ってまんネン」。ひとしきりやり取りがあったものの、“春日神社はどこ?”なんて聞けそうな雰囲気ではない。
ㅤと、目を挙げると左手すぐに、あった。何かあるではないか。

今日最後だし、撮った写真4枚全部並べる。木間生に坐す春日神社(Google Mapを信じて。地形図には鳥居印すら無い)。このお社も表示が無く社名の確認の仕様がない。強いていえば(これだけは立派な)燈籠の「献燈/昭和云々」のみ。右の燈籠に立てかけてあった板がどうやら鳥居の扁額のようなので、裏表を矯めつ眇めつ確認したものの文字の痕跡すらない。

BSのすぐそばに「十七代竹本中美太夫」の碑。約200年前に当地に住んで浄瑠璃を広めた初代中美太夫を顕彰してのものという。たしか能勢でも同類のものを見かけた。

次BS表示のない「木間生」バス停標識。見ると次のバス迄70分以上時間がある。じっと待っているわけにもゆかないではないか。このため4`余り歩行距離が増えた。

約500b南下すると 町立ふるさと館。いろんな施設がありそうだがそれは置いといて、バス道沿いに灯台躑躅(ドウダンツツジ)が真っ盛り。

寄らなかったが「天乳寺」さんには遊行僧木喰の彫った木喰仏が3躯おわすそうな。1`許り下の東光寺には14躯、阿古谷の毘沙門堂に7躯など当町内に33躯現存するという。

猪名川町のマスコットキャラクター“いなぼう”を 道の駅いながわ で見つけた。最近どこの田舎町(御免!)でもあるんだなァ。

屏風岩。猪名川渓谷自然公園を代表する景観で30b屹立する岸壁が100bほど続く。春の新緑、秋の紅葉等が有名だそうで 周辺にいくつか旅館もある。

前述の木喰仏の多く残る東光寺は紅葉真っ盛り。

大井BSで漸くバスの来る時間になり、ここから日生中央まで暮色濃い猪名川沿いを“輪行”。

16時過ぎ日生中央着。バスの中から道筋を見ていて、歩けるかどうかでなく、このややこしい道筋全部歩こうとしなくてよかったと安堵。絶対迷子になったこと請け合い。紫合(ゆうだ)なんて知らんと読めない集落(H社時代取引O銀行の支店長がここの人だと聞いた記憶)を通って日生中央の駅が見えた時は故知らずホッとした。
ㅤそれにしても今日のターゲットはみんなお尻に「お」の付く地名だったな。「すぎお」「ささお」「こもお」。箕面にも「みのお」「あお」などあるし、宿題がまた増えた。

(往路省略)=杉生BS→杉生春日社→笹尾春日社→木間生春日社→道の駅いながわ→大井BS=日生中央⇒川西能勢口⇒豊中=千里中央=

今日の総歩数 (11,100b÷0.65≒)17,000歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら