♣ 独 行“高槻の春日神社巡り-3-” ♣
もう少し涼しくなってから歩こうと考えていたコースだったが、このややこしい(気温的にも)時期に他の選択肢もなく、「正味7`、ま、エエカ」と出発。でも茨木行きバスは小一時間先だし岸部行きは、と考えていて面倒臭くなり、歩きでは珍しくモノレール→阪急というアプローチになった。それも目の前で千里中央行バスに乗り遅れ、まさかの万博記念公園駅まで歩くことになる。南茨木駅まで2駅5分では汗も引く暇がないではないではないか。でも京都行き準急にドンピシャで気をよくする。 |
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阪急京都線水無瀬駅。久しぶり。14:48 |
駅から南西500bで武内神社。このお社はもと淀川河川敷にあったが、河川改修のためこの地に遷座したという。 |
武内神社。祭神は武内宿禰(後に菅原道真併祀)。社頭の灯籠には「春日大明神/天明五年(1785)」とある。社殿すべて鉄筋コンクリ造は遷座の時代を示す。本殿覆屋内には二座坐すのが見て取れた。 |
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境内の碑。左「夏大禹聖王碑」は淀川の治水を願い、右「南無堅窂地神碑」は地鎮を願ってのもの、という。「河川改修のため遷座」したというのはこの「碑石」も含むのかも知れない。 |
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R171に戻り、ここから高槻市域。ニチレイの向こう金光学園中高を越えて、 |
左折すると見えて来る上牧の集落。左は新興住宅地区でCCDOBNさんやKGWDNさんチがある。が今回は失礼する。 |
上牧春日神社。3対の燈籠いずれにも「一宮御神燈」とあり当初の社名を示す。後に菅原道真を合祀し大正4年に神奈備神社を合祀したと伝える。 上牧神祠(かみまきのやしろ) 上牧村にあり。鵜殿・井尻の生土神とす。【攝津名所圖繪】(社頭の市教委になる表示板は意味が不明確なので再録を避けた) |
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社叢全景 |
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春日社の近くに日蓮宗の寺院・本澄寺がある(山号法華山)。かつてのその盛況ぶりは門前説明板(上右再録)に詳しいが、今回寄ったのはそれではない。詩人・三好達治が往時の住職と縁繋がりということで、境内向かって右手に記念館が建てられている。それを見に。内部拝観は要予約らしいので佇まいだけ拝観。 |
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三好達治記念館。私事にわたるが、乃公中学校に入ると3年生に三好達治のご長男が居た。生徒会の副委員長で、軟式庭球が得意だったと記憶する。彼が卒業すると入れ替わりに妹御が入学してきた。成績もよく文芸部に所属し、乃公卒業の時の生徒会役員の写真にも写っている。ご兄妹は懸泉堂という佐藤春夫旧家に住まっておられたと記憶する。実はお二人の母堂は佐藤春夫の姪御だった、そのつながりでわが故郷にお住まいだったのだ。個人的に繋がりはないに等しいのだが、前後正味3年(S24〜27年)の縁で二人の12〜15歳時の顔の記憶はしっかり残っている。 |
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本澄寺から直進、R171を越えると新幹線との間に田んぼが広がる。アキアカネが群れ飛んでいた。 |
更に阪急をくぐりJRにかかると、見慣れた「国鉄をくぐる煉瓦巻き隧道」。(ここはねじりまんぽではない) |
物集女街道点景@「梶原一里塚跡」のお堂。 |
物集女街道点景A「畑山神社」。梶原寺跡といわれ、また明治初年までは「永福寺」であった。おやおや ここもアメノコヤネが祭神だ。 |
檜尾山社への道はうんと手前で名神をくぐり山際の側道(R79)を行くようGoogle Map指示があったので恐る恐る行ったら“行けた”。途中まで車が殆どなかった。しかし途中から対向車がシャレにならんほど増え、戻りもならず、、、何とかなったが、今度からこれは絶対やめよう。危ない。 |
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檜尾山春日神社。以前の参拝記をWEB上で見ると、鳥居に社名掲額がかかっていたが、ない。探したら2枚倉庫のそばに放置されていた。多分一昨年の北摂地震で落ちてそのままなのだろう。onmouse→左 |
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Google Map指示ではここからもR79を行けと出ていた。行くものか。第一登り返す道が見当たらない。危険学習済。名神トンネルをくぐって檜尾川沿いにゆく。(因みにこの川を下ると堤上に春日社が2社=既訪=坐す) |
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そこに予想もしなかった(社名に覚えはあったが完璧無視していた)お社の名前が。説明板に「磐手杜神社/祭神・天児屋根命...」。。行かざあなるメエ。 |
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磐手杜神社。祭神・武甕槌命、天児屋根命、経津主命、姫大神及び安閑天皇。社名・安満神社(天智天皇5年)→春日神社(12C)→磐手杜神社(明治44年)。何で見落したんだろうね。 磐手杜(いはでのもり) 安満祠の神籬をいふ。【攝津名所圖繪】 |
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あとは檜尾川沿いに遡上。新名神の高槻ジャンクション下の未整理状態の土塊道を掻き分け掻き分け、再び檜尾川沿いにさかのぼりゆく。 |
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堤防道上にはいろんなものが、、「左神峯山寺道」の道標。 |
これは下部に「阿多古山」と書いてあった。愛宕灯籠の一種なのかな? |
成合春日神社。檜尾川のほぼ“ドン突き”に坐す。祭神・天児屋根命、経津主命、武甕槌命及び天照大神。創建は不明だが、中世では春日神社領荘園「安満庄」に坐す各村の春日社の総本社的存在だったと伝える。 安満神祠(あまのやしろ) 成合村にあり。春日明神と稱す。毎歳正月十四日粥を煮て神供とす。これを以て年穀豊凶の占といふ。村民社頭に會し、粥を煮て管三本に早稲・中稲・晩稲と印を附けて、粥の釜へ入れ共に煮る。其粥管の中に入りたる分量の多少を以て豊凶を占ふ。これいにしへよりの此所の風俗なりとぞ。【攝津名所圖繪】 |
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参拝を無事終えて、ちょうどお孫さん連れでお参りに来ていた地元の婦人に「市バス停留所は?」と聞いた時、右手向こうの道を曲がって登って行ったバスが見えた。「あのバスが止まったところが終点。折り返しです」と聞いて小走りしようとした、その脚が“吊った”のであります。泣きそうだった。逃したら最悪1時間待ちだろう、とかいろんなことが頭をよぎる。跛行しそうになる足を宥めなだめ、バス正面でドライバさんにグランドパスをかざして見せた時はホッとした。 |
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上成合17:20(高槻市バス)→JR高槻南口17:33→JR高槻(JR)→JR茨木/17:54(阪急バス)→ |
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今日の総歩数 概算(1.7+7)÷0.65*1,000≒13,400歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |