箕面市の春日三社を歩く  2020年3月26日

このウォーキングにも先日来の勘違いが関係している。今回は出発前にそれが判明解決していたので問題はなかったのだが。Map上で「春日神社」を検索したら先日来訪れた神社が表示された中に一つ「?」というのがあった。それは昨年1月SRHへ通い出した初期のころ寄った先、それが「春日神社」と表示されている。所在は「粟生間谷東」。カン違いの多くなっているときは得てしてこうなのだ。「茨木にもう1社ある」と。「都合10社だよ」と。それで近所の春日社再訪を含めてプランを立て今日の出発になったのだ。が、途中で「?粟生間谷東って箕面市ヤン」。彩都地区を縦断して流れ勝尾寺川に合流するのが川合裏川。この川は“ほぼ”茨木市と箕面市の境になっている。が、微妙に入り組んでいるのでややこしい。当社もこの川沿いで向こうは茨木市だ。

小野原東(SRH南)の某邸の紫木蓮は盛りを過ぎかけていた。空にはトンビが。

箕面市粟生間谷東に坐す春日神社。H入院まもなく通院途中に参拝した覚えがあるが、当時は気分的に写真どころではなかった。先日の銭原坐春日神社同様(彼社とは静謐さにおいて雲泥の差)社名を表示する何物もない。灯籠や狛犬台座には江戸時代の寄進年月はあったがそこまで。わずかに境内を児童公園にした旨を示す掲示板があったのみ。

 

茨木市宿久庄に鎮まる新屋坐天照御魂神社(式内社)。ごめんなさい、写真だけで通過。

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茨木市清水に坐す(元須久久神社)春日神社。延喜式に「二座」とあり、ここも式内社。

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R171を南に渡り、西国街道に入るとすぐここに出る。
ㅤ煩瑣に亘ること覚悟で左説明板を復刻する。春日神社のお旅所と西国街道/小野原地区には、神護景雲年間(767年〜769年)の創建が伝えられる春日神社が、村の氏神として鎮座します。/この地は春日大社の大祭の際に御輿が巡行するため「お旅所」と呼ばれ、御輿を置くための台座が所在します。/また隣接する西国街道の脇には、京都伏見への方向を示す享和二年(1802年)に建てられた道標や、村への疾病の侵入防止を祈願して建てられた常夜灯籠、楠木正成が水を求めたと伝えられる井戸などがあります。/箕面市教育委員会 つまり左正面須賀神社と春日神社お旅所。右お堂「楠水龍王」が楠木正成ゆかり、前の石碑が「京ふしみ道」碑と常夜灯籠。

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上記の辻から南西方向約1`弱で箕面市小野原西に坐す春日神社に至る。社叢でそれと知れる鎮守さん。上記左写真「春日神社御旅所」とあるのは当社のお旅所ということ。別宮・摂社・末社が13社あるのも神護景雲年間創建と伝える歴史の古さに依るか。(一部下記)

二の鳥居横に坐す水神社はすぐそばにある農業用水池と関連するようだ。箕面の山際に点在する溜池も同じシチュエーション。

榊輪神社は「元宮」とあるが「神護景雲二年に創建した当時境内に榊の木が繁茂して社殿を覆っていたので社号を榊輪(さかきわ)神社としていたが貞観年中春日神社に改称」という説明板の記載から推すと“地主神”だろう。

春日社北方の畑の畔にレンゲが咲いていた。レンゲなど久しぶりに見たような気がする。

その近所にあった碑「新嘗祭献穀斎田址」。Woom!何ぼ調べてもWeb上に見つからない。年1では代替わりの大嘗祭のようなNewsにはならないのだろう。

西国街道に戻ってきた。MVG「萱野・新家・小野原コース」L「小野原の西の常夜灯」

箕面市新家に坐す春日神社。何度も来ているのにいつも鳥居前で失礼していた。今日はしっかりお参りさせてもらった。関係ないがSB同僚だったYJさん邸の庭先に位置する。(!)

新家BSから帰途に就く。途中今宮BSから前記YJさんが乗ってきてびっくり。おしゃべりする暇はなかったが、きっと乃公同様ヒマなんだろうな。(違うかな。)北千里から三ツ辻まで歩き足す。

今日の総歩数 不明((4.8+2.1)/0.65≒1万1千歩弱)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら