♣ 独 行“元茨木川緑地(北半分)と安威川” ♣
万博へ行こうと通りかかったバス停にちょうど茨木行きのバスが来て飛び乗ったのが運の尽き。ではなくて、今日の行程を決めた。バスの中でとっつおいつ考えた末、先日ちょっと気になった茨木川の旧流路を歩こう、と。JR茨木でちょうど阪急茨木行きと連絡が良く、乗り換えて茨木市役所で降りる。あとは成り行き。 |
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市役所前ではまず茨木神社と天石門別神社だが、それは今日のテーマではない。まずは緑地帯になっている茨木川の旧流路を遡行することがメイン。(先日はその一部を横切った) その地点から北数百bに安威川との合流というか切り離しのポイントがある筈だ。まずはそこを目指す。 |
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「寺の上の樋跡」碑 |
「六軒町橋跡」碑 |
川端康成文学館 |
「佐介樋跡」碑 |
「結び」碑。何じゃコリャ。 |
遊歩道工事中で正面から撮れなかった案内板(画面クリック) |
JR橋梁。昔は「川にかかった橋」今は「遊歩道を跨ぐ橋」 |
同じ橋をくぐって北から望む |
複々線の南側が古いその証拠1。石積みで二つのアーチが見える。その右側(北側)はコンクリート橋脚。 |
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稲荷社のある堤左(東側)の道は川のある時代からの人道で、JRをくぐった南側に“まるまた”の愛称で知られる煉瓦巻きのトンネル『門ノ前架道橋』がある。 |
“丸また”ってこれらしい(GoogleMap借用・謝)。撮り損ねて残念。これが、いわば「南側の古い証拠の2」か。 |
稲荷社のところで直角に西へ曲がるとほどなく辻に出てさらに直角に右へ曲がり北に向かう。その場所にある「田中橋」碑。 |
「バラ用」か、と思ったがバラが見当たらなかった。単なる飾り用のパイプアーチか。ここから「締め切り地点」まで500b余りこの緑地帯がつづく。 |
や、や、ドン突きに階段が見える。あそこだ。 |
茨木川堤防に出る。この川はこの場所で曲がって、今歩いてきた場所を南流していたのだ。昭和16年まで。 |
ドン突き階段上に碑「安威川 茨木川/合流の碑」。緑の橋桁は府道15号線(八尾茨木線)の田中大橋。 |
ここが合流点。左向こう(ガードレール向こう)の木立はこれまた安威川の旧流路で、いまは西河原公園になっている。 |
「安威川 水と緑の回廊」碑(標識)。向こうに見える青いアーチは西河原新橋。この間通った。 |
振り返って茨木川(左)安威川(右)合流点観望。右遠く阿武山(真ん中の鉄塔向こう)。 |
土手で土筆摘みのおばさん。400b下流にもう一人いらした。JR鉄橋を貨物列車が通過中。右向こう“恰好良い”のは竜王山、最右は阿武山。中腹に白い京大地震観測所の建物が見える。 |
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R132を越え阪急のガードをくぐって 式内・牟禮神社。久しぶりの参拝である。 |
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拝殿格子の隙間から(失礼ながら)撮らせてもらった本殿。祭神は 牟礼豪族の祖・大中津日子命(垂仁記)と伝えるが、中世織田信長の社寺焼き払いを免れるため牛頭天王と春日神と偽ったのがそのままとなり、明治初年の牛頭天王=スサノオ強制習合により建速素盞鳴尊、天児屋根命となって現在に至るという。(Wikipediaを参照した) |
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阪急茨木駅への道すがら。 |
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「あとは成り行き」と書いてのスタートだったが、パフォーマンスは上々。快適な歩行であった。ただ阪急茨木→JR茨木はよかったが、乗継バスが半時間以上待ち。しかたがないのでÆonまで歩き、スタバでコーヒー。下穂積からバスで帰宅とは相成った。 |
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今日の総歩数 12,973歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |