茨木には春日神社が多い  2020年3月2日

♣ 独 行“茨木坐春日神社4社巡拝” ♣

茨木には春日神社が多い(物好き氏の調査では9社あるという:未確認)。これは遠い昔子育て真っ最中の初詣は、氏神様ではなくて、ちょっとハイキングになるような近隣のお宮参りだった頃実感したところだ。その昔権勢並ぶべくもなかった藤原氏の氏神・大和の春日大社のいきおいが奈良盆地内にとどまらず広まっていたことの証しに違いない。

宇野辺バス停から1`弱。モノレールからすぐ下に見えるこのお社に興味津々だったが、今日ようやく参詣が叶う。池と川に〔その外部の道路・鉄道・工場群から〕守られたような風情のお社。

奈良坐春日神社は大正川の遊水地のような場所で中州全体が境内といった風情だが、中環工事で20bがとこ南に遷座したのだという。

ここ春日神社は社頭説明板に「茨木市大字奈良」云々と書いてあるが、行政上の所在地は「茨木市天王1丁目」。以下説明板抜粋引用「往昔当村住人三宅石雄の妻は藤原氏の出身にて子無きを憂え大和の国春日大明神に祈りて男子を出産。故に御神威を崇め大神(天児屋根命)を勧請し地名を奈良と呼び、安産の神として崇敬される。後春日神社と称し全村崇敬の誠を捧げ奉れり」。 写真左から社頭鳥居、擁壁内の拝殿・本殿覆屋。

社殿すべてこの状態で厳重に守られており、拝殿に絵馬らしきものも見えたがそこまで。石燈籠には「春日社」の字が。

社殿の後ろに境内社「稲荷社」と「神社」。背後に中環とモノレール軌条が見える。

引き返し、中環沿いの歩道上から下をくぐるJRとそして右に立命館大学の茨木キャンパスを望む。

川沿いに遡上、モノレール宇野辺駅近くに石仏。だいたいこういうものは近所で道路等の工事があって掘り出されたものが多い。

約1.5`北上し、下穂積坐春日神社。ここはGoogle Map上で目っこ付けた通り、大正川の上流の丘の上。境内には付き物の説明板等一切無し。

下穂積の春日神社境内風景。右に見える石段の奥は八幡社。この併祀は次の中穂積のお社でも同じ。(乃公の独断では八幡社は古墳の上にあることになっているのだが・・・)

更に約1`北上して、中穂積坐春日神社。ここは西側を名神高速と長池に限られた丘の上。標高は50b近い。それにしてもこの覆屋の愛想の無いこと。真白なんて初めて見た。

この丘の上に城砦があったと伝える説明板と「穂積城跡」碑。分からんことだらけで、よくわからない。

この石段をしっかり上った。「見付山」という名の通り展望がよかったのだろう。最下部両脇に「文化四年/丁卯九月」とあった。この年は1807年、喜多川歌麿が死んだ翌年にあたる。

脇参道の石鳥居跡。鳥居扁額と思しきものの残骸が打ち捨てられていた。北摂地震によるものか。あちこちで見たが。

さらに名神沿いに北上、1`余で名神をくぐると目の前に鳥居が見えた。

上穂積坐春日神社。今日の最終ターゲット。昨秋の台風の名残りだろうか、倒木・伐採木が眼について殺伐とした感じ。木々が多くてもとても「社叢」とか「鎮守の森」の感じはない。

辨天宗冥應寺境内。高く聳えるのは水子供養塔。野球で有名な智弁学園がここの傘下と初めて知った。

茨木市(南春日丘)から吹田市(千里万博公園)に入る。万博記念運動場、万博記念公園、そして太陽の塔。

→宇野辺バス停→奈良坐春日神社→下穂積坐春日神社→中穂積坐春日神社→上穂積坐春日神社→辨天宗冥應寺→ あと家まで歩いたが、一昨々日より総歩数が少なかった。つまり距離が短かった。

今日の総歩数 15,437歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら