♣ 独 行“阿倍野区まちなか歩き” ♣
「阿倍野区街中」と謳ったものの、よく調べたら片や東住吉区、こなた浪速区ということが判明。しかしなあ、歩いたのは阪神高速14号松原線の下(言い換えると大阪メトロ谷町線の上)が殆どなのでま、お許し頂こう。とまれ、今日はほそぼそと始めた“神仏霊場を歩く”の2社寺を巡った。 |
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天王寺駅7番線フォームから阪和線専用?の1〜6番線望見。かつて(紀州路快速などない頃)紀勢線へはこの1番線2番線から出ていた。☆鳳行き各停に乗り、2駅目・南田辺駅で降りて今日の行程が始まる。 |
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樹齢800年を越えるクスノキ(大阪府指定天然記念物)。あちこち大木を見てきたが、これだけ樹勢の盛んな木も珍しい。 |
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「たなべのお不動さん」として信仰が篤い法楽寺。真言宗泉涌寺派大本山で本尊は不動明王。〔近畿三十六不動尊第3番〕〔おおさか十三仏霊場第1番〕〔摂津国八十八箇所第40番〕〔役行者霊蹟札所〕そして〔神仏霊場巡拝の道 第47番〕。攝津名所圖會にはこう記す。「法樂寺(ほふらくじ) 南田邊村にあり。宗旨四宗兼學。京師泉涌寺に屬す。紫金山小松院と號す。黄檗悦山筆の額には紫雲山と書す。本尊如意輪觀音 源頼朝公念持佛。背面銘に云く、左馬頭源義朝一刀三禮、久安二年丙寅二月十八日、法眼湛幸作之。」(後略) 写真左より山門と三重塔・楠、本堂、同扁額 |
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大師堂の前に四国八十八ヶ所霊場本尊碑 |
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「平成の三重の宝塔」平成8年(1996)落慶 |
なぜか「田辺大根」の碑もあった。なにわの伝統野菜 |
梅に見送られて西門を出、北へ400bで高架道路=これが阪神高速14号松原線=。これに沿って北西へ真っ直ぐ凡そ1.8`であべの筋に出る。上町線の踏切を渡ってキューズモールを回り込むとあびこ筋。ここで突風に煽られて危うくコケるところだった。足腰が弱った、などと言わず「今日の風は未だ経験したことの無い風だった」ということにしておこう。 |
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阪堺線新今宮駅前駅に恵美須町行き電車が入ったところ。 |
ひと筋間違えてエベッサン東門。もっとも社名碑はここにしかなかった(正面に見当たらない)。 |
1月10日前後の堺筋線の電車内を笹だらけにする(オーバーか)福の神“エベッサン”。今宮戎神社。写真左から社頭鳥居、拝殿、本殿。攝津名所圖會に謂う。「今宮社(いまみやのやしろ) 今宮森にあり。/祭~ 中央、天照大~、左、蛭子尊・大貴命、右、素盞烏尊・月讀尊、已上五座。/毎歳正月十日は大に羣參して福徳を祷る。諺に云ふ、此御~は聾にてましますとて、詣人後の羽目板を敲きて、諸願を叶へ給へと訴ふる事喧し。社頭には米花袋・蜈蚣小判・米俵・白銀包等の目出度作物を多く賣るなり。下向の輩これを例として買ひ求め、笹の枝に結ひつけて、賣る所の烏帽子を求めて頭に戴き、酒機嫌に往來を笑はせ興ずるなり。笹の枝は家の内に挿して、富貴繁盛の先表とする事風俗とするなり。此日浪花の市中稼穡を休みて、十が六七は參詣す。無人なるは戸を鎖しても參る。其道筋、道頓堀側の芝居・觀物・貨食屋等大に賑はし。京師稲荷~社初午參に比しけるならん。/九月十八日午の刻、流鏑馬の祭事・豐後相撲あり。此日~輿を四天王寺石衡門に渡し、~供を備えて音樂あり。昔は天王寺の鎮守なり。」 |
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東門を出て北を見るともう一つ鳥居が見える。100bも離れていないところに廣田神社。写真は撮らなかったが、西宮の戎神社と廣田神社(タイガースのお参り先)と位置関係がよく似ているそうな。?西宮の二社間は少なくとも2`以上離れているが、位置関係はそうかも知れないけど、よくわからない。 |
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今日の総歩数 (5.1`÷0.65≒)8千歩弱  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |