♣ 独 行“高濱神社から垂水神社へ” ♣
何か心残りがあるな、と。それは9日の市内お社巡りが途中挫折したことだった。片山神社境内の愛宕社跡とか、江坂の素盞嗚尊神社はさておき、いつぞや『吉志部→片山→高濱→泉殿→垂水』とスイスイ歩けたのに、今年はそのうち3社がまだ残っている状態。情けないではないか。妙な思惑はお社巡りに相応しくないのかも知れない。しかしこれが今や乃公ウォーキングのモチベーションの一つになっていることは否み難い。急に思い立って飛び出して12系統バス(JR岸辺北口経由JR吹田行き)に飛び乗る。(タイトルの言い訳:厳密にいえば垂水社は吹田村ではなく垂水村坐) |
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高濱神社。写真は左から社頭鳥居、拝殿、本殿。攝津名所圖會に高濱神社の名前はないが、以下がどうもそうらしい。吹田神祠(すゐだのやしろ) 吹田村に二座あり。牛頭天皇・春日明神を祭る。此所の生土神とす。又名就社ともいふ。上古は水田(すゐだ)と書けり。二座とあるもう一社は9日に訪れた素盞烏尊神社(通称片山神社)として。 |
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拝殿前の石燈籠。説明板にこうある。『吹田最古の石燈籠/吹田で最古と言われるこの石燈籠は元和六年(1620年)江戸時代前期の建立です。/石燈籠の竿部分の文字は「元和六年」「奉寄進 牛頭天王御神前」と刻まれており、願主 吹田村住人 久左衛門 とあります。/銘文からは、高濱神社の主祭神「素盞嗚尊」に献じられた事がわかり、/江戸時代に当神社が「牛頭天王社」と呼ばれていた事と一致します。』(編者注:説明板には「盞」の字を「戒」を重ねた字として書かれているが誤りと思われる。なお同社WEBSITEには「戔」と記しておりゴチャゴチャである) |
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高濱さんから約15分。JRのガードをくぐって泉殿宮の参道に出る。道路左寄りの白丸は鳥居の痕跡。 |
門前向かって右にお寺。高濱さんでも立派な寺院が西隣にあった。明治以前の神仏何やらの名残り?か。 |
泉殿宮。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。古くは農業神を祀っていたが旱魃時に建速須佐之男大神(牛頭天王)の霊験で救われ、同時に霊泉湧出。この水が明治に至り大阪麦酒(現アサヒビール:お隣さん)設立の基となったと伝える。 |
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ここがそれ。本殿の向かって左(というより霊泉の右に神祠を建てたのかも)。昭和30年代に湧出しなくなり枯渇した由。 |
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吹田市内でもっとも人の歩き難い地域(と乃公が独断する)阪急吹田駅北改札口周辺を行ったり来たりして、メイシアター改修工事・閉鎖中の表示に一驚し、ウロウロして泉町の街並みのややこしさに閉口し、また阪急の踏切を渡って145号バス通りを越えて出口町へ、 |
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ふと右手を見ると カトリック吹田教会。 |
そう、電車から尖塔だけ見えてるとこへ行ってみよう。 |
大阪ハリストス正教会は近く山手町。いわゆる「ロシア正教」と乃公が勘違いして覚えていた教会。傍へ来るのは初めて。人気(ひとけ)がなかったので写真撮りに無断で入らせていただく。御免なさい。 |
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教会内に咲く水仙。 |
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R145沿いに阪急豊津を経て西へ。気が付くと辺りの看板に「江坂」の文字が見えだした。ちょっと行き過ぎたか? そこで戻ったあたりカンは鈍っているよ喃。 |
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ようやく垂水さん社頭へ。右後ろに目を転ずると100bがとこ向こうに一の鳥居が見え、そこから立派な参道になっている。 |
二の鳥居へ急な石段 |
垂水神社(たるみのかみのやしろ) 垂水村上方にあり。〔延喜式〕に曰く、名神大。月次、新嘗。預祈雨祭及八十島祭。其八十島時。祝賜布二端云々。例祭六月三十日・九月晦日。【攝津名所圖會】 |
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拝殿 |
本殿 |
石
激
垂見之上乃
左和良妣乃
毛要
出
春尓
成
来
鴨 |
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ここで一考。→江坂→千里中央→と考えたが、思い直して→豊津→山田→に変更し今日のウォーキング終了。 |
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今日の総歩数 (5.7km÷0.65≒)8,800歩+α  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |