白島は三度目の正直か  2019年11月11日

♣ 独 行“Tri-リベンジの白島から萱野へ” ♣

MVG「箕面の町の史跡探訪・如意谷・白島・石丸コース」にいう「徳本上人の名号碑」が過去2回のトライアルでも見つからず、乃公自体意地になっていたことは否定しない。その執念が実ったか(笑)3度目の挑戦で今日ようやく見つけた。小さな石碑ではあるが、その特徴さえしっかりつかんでおけば1回で見つけられたのに、とは見付けた後の愚痴。

これがそれ。I徳本上人の名号碑。蔦文字といわれる独特の書体で「南無阿弥陀仏」の六字名号と「徳本〇」の名前。前2回とも絶対前を通っている筈なのだが。文化財的に何か表示をしておいて欲しいというのは第三者的な勝手な言い分か。場所はいまや白島・石丸地区の墓地だし色々あろうと思う。ヒサカキが供えられていて抜くこともならず正面からは撮れなかった。

ふと周りを見回すとその前方2mほどの位置に、二つに折れた石碑(左)。その表面には同一書体の「南無阿…」があるではないか。両方入れて撮ったのが右の写真。帰宅してさらにMVGのページを確認したら「…白島村と石丸村の共同墓地の中に、徳本上人が書いた六字名号を刻んだ小さな石碑が3本立っている」云々とあって、さらに一つ課題を残した。嗚呼「もう一本あるのかィ」。

帰途山麓線を渡り白島集落を突き切ってキューズモールまでくだり、B-Bでしばらく探し物。そこから萱野交差点まで下って今日のリベンジ行第2弾。木戸池をめざす。

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2つの点で吃驚。一つは前回無意識に回避した最大の理由「北急延伸工事中」でバリケードだらけなこと。二つ目は池とは言い条、水面がほとんど見えず湿地化しているらしくて“元”池を周回する木道、それも略幅2mはある立派なものが出来ている。池の写真は成らず、もう一つ外側の周回道路の紅葉落葉を撮ってみた。

さて、二つ目のリベンジ。MVG「箕面の町の史跡探訪・萱野・新家・小野原コースF箕面山への道標」はどこじゃ。「木戸池の脇の緑地に「是より西箕面山」「みのお山入口」と刻んだ道標がある」と書いてあったが。。。今歩いている範囲では、見当たらない。

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“緑地”って、これだけバリケードで囲まれた中にある訳は無いし、もしあったら潰されているだろうし、、、いやいや、あった。バリケードの中にバリケードで囲まれて潰されずに。F箕面山への道標。しかし正面が左向こう向いている。こっち向いた碑面には「寛文拾貮年壬子五月吉日」という寄進年月が読めるが、正面に「是より西箕面山」「みのお山入口」と書かれているのは90度左側で写し込み不可能だった。残念(写真は金網の隙間からカメラを突っ込んで撮った)。右写真は現場遠望。右の樹の数b手前なのだが、遂には入れずじまい。

あと萱野小学校前BSから千里中央経由帰宅。千里中央でバスに乗った途端ドシャ降りとなり、十数分後発車まで降り続いていた。愛知県豊川でヒョウが降ったとTVニュースで出たが、その北大阪版だったのかな。

今日の総歩数(不明)    ̄|△| ̄   ルートマップ省略

[箕面山への道標]古い写真発見!
 

1981年暮れカブ隊ハイキング下見の時通りかかって撮ったこれ1枚っきりの写真。「みのお山の入口」とあり、向かって右面には上記「寛文拾貮年壬子五月吉日」が見える。背後に新御堂の高架があり、石碑のあり場所は無粋なバリケードで囲われているが、灯籠や植え込みがあってそれなりに大事にされていた様がうかがえる。