歩きも歩いたり23千歩  2018年11月5日

♣ 独 行“湖西の式内社おごとから坂本まで” ♣

今月からChanter練習が毎週になり気忙しくなってきたが、歩きに関しては再開したAZハイキングも今のところ隔月で気分的には余裕。昨日はこれも久し振りに佐竹台大回りを歩いてみて“行けるぜ”。滋賀県の天気は今日午後下り坂ということで9時前家を出てスタート。
ㅤそれにしてもなァ、23千歩程度で「歩きも歩いたり」というほど齢食ったか。もっと歩いて平気だったのに。嗚呼。

=JRおごと温泉駅→小椋神社→飯室谷不動堂→西教寺→那波加神社→那波加荒魂神社→JR比叡山坂本駅=

湖西線おごと温泉駅に降り立ったのは10:32。いつも通りにフォーム駅名表示板を入れて列車を撮ろうとしたら突然「電池切れ」。電池交換に手間取ったおかげで今日の写真スタートは駅入口からとは相成った。

山に向かって歩くとすぐ湖西道路をくぐる、が、くぐっているバイパスを更に潜る道があったので通ってみた。おそらく開発前の旧道なのだろう。

さて開発団地「仰木の里」を過ぎると今日の@ターゲットを産土神とする仰木2丁目の在に入った。ところが一筋縄ではゆかぬのがこれ。真っ直ぐ突っ切らねばならぬのを「道なり」に左緩カーブで歩いたものだから、Google Mapのナビが鳴りっ放し。結局一山(!)越える羽目になる。道に惚れ込んじゃいかんぜよ。

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一山(!)越えてようやく鳥居が見えてきた。遠望する雲をかぶった山は比良山系南端=おそらく蓬莱山。

鳥居をくぐって参道の向こうに神橋。この下を流れる川を3kmほど遡行すると奥宮があるというネット情報もある。Map確認の限りでは「滝壺神社」らしい。

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今日の第1ターゲット・小椋おぐら神社。この神社はややこしい。まず舞殿(拝殿)の向こう、つまり正面に坐す2社は若宮神社と大宮神社。だとすると肝心の小椋神社は?それは左側に一段高く祀られている。説明碑板に「小椋神社/田所たどころ神社トモ称ス」とあった。前回の小野神社でも小野篁神社が正面にあり、小野神社はその左脇に坐していた。鎮座のいろんな経緯からこうなったのだろうが、ややこしいことに変わりはない。祭神は闇龗神と猿田彦神。写真は左から二の鳥居、舞殿、拝所(左の灯籠に田所の名が見える)。この奥に本殿があり左右に若宮神社と大宮神社が併坐する。

舞殿の真後ろにあるのでこの2社がメインに見える。左今宮神社、右新宮神社。

今宮神社の左方にあった初代一の鳥居の上部。上部だけ切り取って置いてあるのであって「埋まって」いるのではない。

町の中の参道にあった闇龗大神参道」の碑と一の鳥居。それもこれもすべて道を間違えたせい。道を正しく辿ったら神社より先にこれらを見た筈なのだよ、各々方。

さあ、仰木の集落を後にして向かうは坂本の在の大寺院。Mapでは近道で4.6km・1時間強という。航空写真では丘陵地帯のようでアップダウンがありそう。

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♪遠く霞むは三上山♪ と琵琶湖

♪仰木の向こうは蓬莱山♪ onmouse-up

坂本への道路未完成のため迂回路の指示。これを無視して突っ切ればよかったのに、**正直者はしっかり右へ迂回してしまった。『坂本/西教寺→』

このあと無慮半時間人っ子一人どころか車すら通らない杉林の林道を歩いてとうとう『比叡山飯室谷不動堂』というところに来てしまった。標高226m。

オッ、坂本か と思ったらさにあらず、千野という集落。♪遠く霞むは三上山♪

更に半時間を閲して漸く西教寺と思しき大伽藍を見つけたが、深い谷に橋がない。諦め半分で下り道にかかる。

ここを過ぎて五差路の手前で水分補給。ホッとして右向こうを見ると、何と、お寺らしいのが見えるではないか!

数百メートル道を下ってなおかつその先に山門があるとはどんな大寺院なのか?天台真盛宗総本山・西教寺さいきょうじ。この総門は明智光秀が築いた坂本城の遺構と伝える。

チラと見えた本堂伽藍へ参詣をとも考えたが距離と高度差であえなく断念。ここで記念スナップ(ST)を撮って失礼する。西教寺(さいきゃうじ) 坂下に在。大窪山智善院と云。真盛上人の開基。本尊薬師也。灌頂巻物大師より傳来す。これいにしへ粟田口法勝寺と(2字不明)とぞ。正月三日此寺に入来る者あれ捕へて食を飽しむ。【近江名所圖繪】

西教寺前の四差路から坂本団地を経て専称寺南から日吉台1丁目の平石古墳を通り、湖西道路と湖西線をくぐって大きなH製作所工場の角を曲がるとやがて苗鹿のうかの在所に鎮守の森が見える(この間2.5km/標高差約100m)。さて、

今日の第2ターゲット・那波加なはか神社(大津氏苗鹿1)。祭神は天太玉命。左から社頭鳥居、拝殿(舞殿)、本殿。珍しい社名は在所の「のうか」地名との関連あるのか? 【近江名所圖繪】苗鹿社 天智帝七年に造る。

社頭の社号碑

第3ターゲット・那波加荒魂なはかあらたま神社。祭神は那波加神社荒魂。当社は第2ターゲットの末社ということで玄松子さんの表には上がっていない。しかし一応別々に場所を別にして奉斎されているので個人的判断で挙げることとする。延喜式では一座なので併せて1社が正しいのだろう。

ここでホッとして鳥居正面の縁石に腰を下ろし遅いルヒシメ。箸を使わずにファミマ助六を食べて、いざ気が付いたら手がベトベト。手を洗おうとしたら神社の手水舎の水が出ていない。帰ってからY子さんに“だからウエットティシューを持って行きなさいと言ったのに”と言われてしまった。

ここ木の岡町一帯は開発され尽くして『5世紀の古墳群』の看板にかかわらず古墳のかけらだに見当たらない。しかしことほど左様に滋賀県はここ湖西南部に限っても古墳だらけ、それも前期前半から後期まで幅広い。5〜7世紀に古墳を作るだけの勢力・財力を持った土着豪族がいたことの明確な証しなのであろう。

かくして161号線経由1.7kmを歩いて比叡山坂本駅到着。最初は(出来たら)坂本と滋賀里に坐す倭神社2座も加える予定だった。しかし身体のどこかが“少しキツイな”と言っていたようなので、大津市内8座完拝は次の機会にゆずることとし本日の行程終了。14:48姫路行き新快速の人となる。

今日の総歩数 22,861歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら