♣ 独 行“巨勢路の式内社巡り” ♣
4月は行事が立て込んで式内社巡りが思うようにゆかなかった憾みがある。4月最終日に「GW後半は5/1を除いて天候不順」なる天気予報が出るに至っては歩かざるを得ないではないか。という言い訳をもとに、御所市内で行き残した巨勢谷の式内社4社を巡ることにした。最高気温28℃予報。快晴だが空には飛行機雲がいくつも走って明日以降の空を思わせたことであった。阿部野橋の成城石井で弁当を仕入れ、吉野行きの急行に乗る。 =近鉄薬水駅→八紘寺→大穴持神社→大倉姫神社(古瀬)→巨勢山口神社→大倉姫神社(戸毛)→近鉄葛駅= |
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近鉄薬水駅を発車する吉野行き急行。ここは無人駅。ICカード読み取り機があるだけ良しとせねば。 |
古瀬から小殿(前回♪行った)へ抜ける道から山際に何か見えてきた。あれが今日の第1ターゲットか? |
こんな立派なお堂があり、その一つには千木めいたものが載っていて“これだ”と思い込んだ。しかし聞くとここはお寺。件の建物は難しい名前で神社とは関係なかった。此処が背にする尾根の向こう側だと教えて貰う。御親切に感謝。 |
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川沿い200m遡行したら教えてもらった通り灯籠が、そして小橋があった。ここから山に入る。 |
その山道がこれ。花崗岩の風化した参道は老いた脚には厳しいことこの上なく、写真で見る何層倍の難路。 |
本日の最初のターゲット・式内大穴持(又はおおなもち・おおあなもち とも)神社。本殿がなく、拝殿の奥に植わっている木がご神体と伝える。祭神(大己貴命)を同じくする三輪の大神神社同様自然崇拝と言われる。大穴持神社(おほあなむちのかみのやしろ) 朝町村にあり。今三輪明神と称す。拝殿・華表(とりゐ)あって神殿なし。故實といふ。〔神名帳〕に出づ。【大和名所圖會】 山の中腹(186m)に坐し一の鳥居との標高差60m(200‰超)。 |
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二の鳥居。ここからの下り路が凄まじい。手摺のある所はそれに縋り、無い所は立木を頼りにして降りる。 |
一の鳥居。顔だけ写っているのが当社の氏子さん。乃公参詣終了まで待っていて下さった。危なっかしかったのだろうな。有難う。 |
以前カルチャー教室「万葉を歩く」でこの前を通ったな、というデジャビュ。 |
吉野口駅はJR・近鉄両方の駅。フォームは並んでいる。(因みに近鉄南大阪線・吉野線はJRと同じ狭軌) |
今日の第Aターゲット・古瀬に坐す大倉姫神社。式内大倉比賣神社の論社の一。大倉比賣神社(おほくらひめのじんじゃ) 古瀬・河合村にあり。〔神名帳〕に出づ。【大和名所圖會】 祭神大倉姫は大己貴命の御子下照比売の別名とのこと。吉野口駅北方150m。 |
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椿の名所として知られる玉椿山阿吽寺。手前の線路はJR・近鉄(並走) ♪巨勢山の列列椿つらつらに見つつ思はな巨勢の春野を♪《1-54・坂門人足》 |
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215号線から社名標石(onmouse-up)を曲がる。 |
異様な砂防堰堤。件のお社は右上の濃緑の尾根の中腹に坐す。 |
参道入口の神社由来記掲示板にひときわ大きく「イノシシ捕獲わなに注意」。 |
ここも大穴持さんに負けず劣らずの難路。草付きが多い分若干マシだったが、遠い!。鳥居が見えてきたところでへたばってしまい、午餐。 |
ベストを脱いで成城石井弁当を平らげ、そこにザックやキャップなど放置してカメラ片手に参詣。 |
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今日の第Bターゲット・式内巨勢山口神社。巨勢山口神社(こせやまぐちのじんじゃ) 古瀬村にあり。〔神名帳〕及び〔三代實録〕に出づ。【大和名所圖會】 標高226m。比高差110m。 |
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キビシイ参道のあと200mがとこ平坦化された境内になっていてホッとするひとときだった。木漏れ日がカエデの若葉を通して柔らかく降り注いでいた。 |
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巨勢寺塔跡(国の史跡)。右に僅かに見えるのはJR線。15年前に立寄ったので今回は見送り。 |
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今日の最終(第C)ターゲット・戸毛に坐す大倉姫神社。式内大倉比賣神社の論社の一。大倉比賣神社(おほくらひめのじんじゃ) 古瀬・河合村にあり。〔神名帳〕に出づ。【大和名所圖會】。 そばを走る215号線工事で移転したことがありあり。社頭の社名石碑横面には「昭和六十年十月吉日」と刻まれていた。 |
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曽我川をわたって公民館の角から駅らしい(葛駅だった)のが見えたが、同時に左方向へ動き出したものも見えた。150mを急いだが間に合う訳がない。ちょうど半時間に1本の阿部野橋行急行が出たところだった。無人駅なのになぜかエアコンの入りっぱなしの待合所で半時間をつぶし、帰途に就く。 |
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今日の総歩数 6,051 歩(ACCUPEDO相変わらず!)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |