小値賀町唯一のカトリック教会遺跡  2017年10月13日

♣ きょうだい旅行“長崎くんちと上五島の教会巡り” 7日目 ♣

     

今日は今回のきょうだい旅行の巻末付録みたいなものである。当初の予定は上五島29ヵ所を巡ってそのまま帰途に就く、都合一週間のツアーだった。ところが出発間近になってFYさんから“▲※◎を追加しましょう。今回行かなかったら二度と行く機会は無い所です”という連絡が入り、一も二もなく賛成して付け加えて貰ったのだった。“▲※◎”、つまり旧野首教会がこんな素敵な所だったとは。

有川青少年旅行村・港(高速船)→小値賀町小値賀港/笛吹港(町営定期船)→野崎港(トレッキングツアー)→野崎郷廃屋群→野崎火山火口丘→旧野首教会→野崎島自然学塾村→野崎ダム→野首海岸→野崎港(町営定期船)→小値賀島笛吹港→宿舎

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朝6時半の高速艇で有川を出、7時小値賀港到着。荷物を預けてすぐ町営の定期船はまゆうに乗り換え出航。目指すは2km東に浮かぶ野崎島。

野崎島北部305mピークの西斜面に沖ノ神島おきのこうじま神社が鎮座する。ご神体は本殿上部の王位石おえいしとよばれる巨岩。遠目にもそれとなく覗うことが出来た。

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町営船は六島むしまに寄港して1人乗せ、やがて野崎島東側の野崎港に入る。鞍部には今日のメインターゲット・旧野首教会が onmouse すれば見える。白い野首海岸の砂浜と右手の褐色の溶岩平原の対比。南北に6.5kmの島は300mを超える山が櫛比するが、あの鞍部は東西1kmに満たないくびれ部分である。

8時野崎港上陸。おぢかアイランドツーリズム協会のお兄ちゃんが案内役。じじばばグループに一人東京のお姉ちゃんが混じって最後まで嫌な顔せずに同行してくれた。有難う。

野崎郷は1990年代に集団離村して無人になった(野首郷は1971年、舟森郷は1966年)。この辺は全部廃屋。

ただ一軒・沖ノ神島神社の神官だけが残ったが、2001年小値賀島へ引き上げ、この時点で野崎島が無人島となった。それ以後は小値賀町の管轄となり、前述の協会が管理を委託されているという。上記は唯一補修して残された神官屋敷。右上に神殿が付設されている。この島で野崎郷だけが神道だったという。

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人が住まなくなった島には、いま野生のシカ(キュウシュウジカ)が増えている。これは廃墟のなかから顔を出して偵察している小鹿。onmouse-up

溶岩平原から仰ぐ二半岳(306m)。金網フェンスはシカと共存を図った名残か。

平原の端っこ・篭ノ鼻には放棄された墓地。木々は強い海風で全部お辞儀して生えている。

野崎火山火口丘。凡そ海面から30m余り立ち上がった赤ッ茶けた火口壁。今日一番の迫力。

引き返して野首方面へ向かう。70mを超える絶壁の上を迂回して見えて来たのが野首海岸の砂浜。

生憎の小雨の中、それ、見えてきた、旧野首教会。

ファサードに「天主堂」の文字。「旧」を冠するのは教会活動が行われていない現在当たり前の呼称なのだが、その立派な佇まいとの間のギャップは如何ともし難い。長崎県の指定文化財である。
 明治41年、野首・舟森の信者戸数わずか17戸が共同生活、1日2食とし、キビナゴ網を購入してキビナゴ漁を興して資金調達計画をたてた。建設費総額は750円。設計施工は鉄川与助。完成間近にせまると、工事に関わった人夫たちの間に不安がつのった。果たして工事代金は貰えるだろうか、そればかりか工事が済んだらキリシタンたちに皆殺しにされるのではないか。落成の日、工事関係者はその祝賀に案内され、帰りには代金は現金で耳をそろえて支払われた。人夫たちは互いに抱き合って喜んだという。【tomasさんの「長崎の教会 五島」サイトを参考にさせて頂いた。記して深謝】

きれいに手入れされた教会周辺。

印象的な正面祭壇奥のステンドグラス。この五島旅行中教会内部を撮ったのはこれ1回だけ。

ご婦人連は鐘を撞く。

島の鞍部にのぼって教会越しに東方を望む。

ほぼ同じ位置から西方の貯水ダム。小値賀島を遠望する。このダムの水は小値賀島の農業灌漑用水として送水管で送られているという。

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段々に見えるのはかつての野首集落の段々畑の跡。いまや旧野首教会が残るのみ。onmouse-教会UP 右手は廃校となった小値賀小中学校野崎分校で、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」として利用されている。われわれもその一室を拝借して昼餉をつかわせてもらった。

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野首港突堤わき(左)にも、野首の段々畑跡(右)にもシカ、しか、鹿。。。今やこの島の主人公。
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戻ってきて教会堂前でselfポートレート。一緒に撮れなかったと顰蹙を買う。

別行動になった4人と入れ替わりに野首海岸の砂浜へ。

旧野首教会よ、さらば。

野崎港に戻ってきた。段々畑(一部水田)跡。

港のそばに若宮神社(跡)。

“こんな所▲※◎”、予定追加を断らなくて大正解であった。
 小値賀島の笛吹港に戻り、折からの地区の祭礼見物はスルーして旅の最後のひと時をゆっくりした。旅館は港からせいぜい100m。旅館の前には小さなお宮さん(西宮神社)があり、さっきの野崎の若宮神社といい、上五島とは違った宗教的環境を感じた。タイトルに「小値賀町唯一の」と書いた所以。