♣ Glee34歩こう会“近江八幡散策” ♣
3年前高梁の備中松山城を案内してもらった高森君の発案・案内で今回は豊臣秀次の居城だったと伝える八幡城址を訪い、舟遊びをして清遊に努めようということになった。IKくんは小中8年間を疎開がらみで過ごした地だということで船が山に登りかねまじき有様。結果じっさいにゴンドラ(ケーブル)で山に登ってしまったという軽口はさておいて、清遊という字面がピッタリの一日。 |
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前日から泊まり込み?で待ち受けていたYYくんの紹介で高橋牧師にWelcome Messageを頂く。6月早々に同志社で講演をされるとかでそのPRも。 |
旧伴家住宅は市の指定文化財。二階の凄い梁材に一同驚嘆。 |
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ここは旧西川家住宅の前栽。(だったよな?) |
八幡堀では新婚さんの写真撮影中。ひょっとしてこれって最近流行りの「前撮り」か? |
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↑ 黄菖蒲真っ盛りの八幡堀点景その1、2、3 ↓ |
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たねやさんで一番庶民的な価格のお膳を頂戴したが、いやいやどうしてどうして。 |
真ん中の囲炉裏風テーブルを占領してこの時ばかりは目先のものに一所懸命。 |
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名物つぶら餅と小豆茶。これがデザート。たこ焼きちゃいまんねん |
店の前のご神木。 |
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八幡さん楼門の左向こうの山腹にこれから乗るゴンドラが見える、 |
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日牟禮(ひむれ)八幡宮。「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財だとか。因みに当社は式内社ではない。左から楼門・拝殿・本殿。【近江名所圖會】にいう「比牟禮社(ひむれのやしろ) 八幡瀛津嶋にあり。延喜式神名帳大嶋神社云々。本社中央應神天皇 左神功皇后 右田心姫神 湍津姫神 市杵嶋姫神 此三神を玉依姫と称す。天照太神社 本社の右にあり。稲荷社 本社の左にあり。若宮 同所に隣す。大嶋社二前 同所に隣す。神楽殿 本社の左の方。拝殿 本社の前にあり。楼門 本社に向ふ。額は古代の体にして筆者詳ならず。傳へ云。賀茂甲斐といふ。鳥居額 八幡宮と書す。持明院大納言基時卿の筆なり。其外末社多し。略之。(後略)」これ場所違うよなァ。沖島町に坐す奥津嶋神社のことかな? |
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ケーブルで今日の目玉・八幡山登山。展望台にはヤングカップル向けの施設があった。 |
北西 長命寺さん方向。その向こうが琵琶湖。ビニールハウスが見える辺りは最終の干拓地で、完成した時には減反政策が始まっていたと聞く。 |
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八幡山上、もと秀次の八幡山城が築かれた跡地に京都から移築されたという村雲御所瑞龍寺がある。 |
門跡寺院で宗派は日蓮宗。秀吉に切腹を命じられた秀次ゆかりの寺だからなのかはわからないが、その有為転変が並外れて激しい。 |
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山頂のアップダウンを無事こなし、市街地を背に境内でホッコラする一同 |
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無事下山して、お土産を仕入れて(割に空いていた)、ほぼ1kmがとこ歩いて舟に乗りに行く。 |
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北之庄の「元祖水郷めぐり舟のりば」。“元祖”だけあって我々のお召舟は手漕ぎだった。 |
八幡堀は別の会社が、またこの水郷めぐりも会社によっていくつかのコースがある、って知らなかった。 |
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♪夜風に葦がそよぐよ よしきりがなくよ(大木惇夫) |
♪あれ あの三味をきかしゃんせ 鳰の浮くのを見やしゃんせ(北原白秋) |
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現地の人は「葦(よし)」とおっしゃるが、「あし」が【悪し】に通じるとした忌み言葉で元来は「葦(あし)」らしい。といった講釈は置いといて、最近これを使った商品が売れず、育てる手間ばかりかかるので放置された葦原が多いと聞いた。どこかのタケノコ林でも同じ話をきいた。それはさておき、放置の結果とされる“枯れ穂”は景観的には見事。まことにもって皮肉なもんだ。 |
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80分のクルーズは恙無く終わり、記念写真を撮ってもらって(先方に撮ってもらった船中写真は買わずに御免)。かわらミュージアム立ち寄りの案件は見送り。豊年橋和船のりば口16:05発のバスに乗る。 JR近江八幡16:36発播州赤穂行新快速乗車。みな途中眠っていたのは齢相応のお疲れか。乃公は高槻で各停に乗り換えて岸辺へ。今日の予定無事終了。高森君ほかお世話になった皆さんのおかげです。有難う。 |
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今日の総歩数 (不明)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |
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応接室によっさんご来駕 | ||
日牟礼八幡宮にて |
水郷巡り船乗場にて |