保存と破壊のはざまを歩く  2017年5月7日

♣ 独 行“キリシタン自然歩道の南半分” ♣

のっけに言い訳を一つ。キリシタン自然歩道は過去2度歩いている。しかしコース完歩はしたことがない。今回も南半分だけというつもりで実際そうした。なぜかというと、一つには基本的に距離が長いこと、二つ目はその大半が自然歩道としては中途半端でかつ単調なこと。今日は実はその中途半端で単調な方を歩いたのだが、ぐちゃぐちゃになっている高速道工事現場を過ぎて旧集落を過ぎるとやはり同じことだった。

阪急バス千提寺口下車。右の道を上がってゆく。途中に茨木市立北辰中学校跡があったが閉校中と聞いた。

峠の分岐標示。この峠道を“ギッソ道”というのだそうな。

1kmがとこ歩いて千提寺集落に出る。
余計なことだが、ここ千提寺集落には千提寺というお寺が見つからない。忍頂寺集落には忍頂寺というお寺があるのに。

すぐ東氏宅角にある石標「北摂キリシタン遺物発見最初の家」。左上が史料館。

史料館拝観後ちょっと上にあがり史料館を俯瞰しながら弁当にする。

茨木市立キリシタン遺物史料館。豊中からチャリできたという勇ましい恰好のお兄さんに撮ってもらった。

十字架を持つジュスト高山右近像。愛と光の家というカトリックの施設の前に立つ。

そのすぐ前に高札場があったという。キリシタン禁制のレプリカが掲示されていた。

左手の尾根筋がクルス山だという表示で踏み込んだら更にこの「クルス山180歩→」の標識。

180歩行かぬうちにこの立ち入り禁止の柵。向こうを覗くと山は無く、工事中の高速道路の土塊のみ。何じゃこりゃ。

Sample

近くにもう一つ子の標識「上野マリア墓碑30歩→」。これは、あった。(右)

が、覆屋だけで小さなマリア像が置かれている。奥に「キリシタン墓碑は市立キリシタン遺物史料館に移動しました」。そういえば、あった。

ここからは高速道の工事現場。写真を撮るのがいやになり、道すがらこの藤の花を撮ったきり。土塊の連続というのは人の心を殺伐にする。。

遠く竜王山。右手に見えるところも千提寺集落の一部。

切り通しの壁面に工事で掘り出されたと思しき庚申塚の石碑が嵌め込まれていた。

高速道の函道をくぐるとなんとか組現場事務所とか朝礼会場とか。普通は避けて通るのだが、南へ抜けたい一心で突き進むとお決まりの結末が待っていた。

この柵は鎖と番号錠で閉鎖されていた。乃公はこの高さ1.5mのバリケードを“ヒラリ”と飛び越えた。。。ということにしておこう。80爺のすることではない。右奥はガイドマップによれば天満宮の御旅所。かな?

大岩の在所に入る。ここは街道の分岐で、古い石碑が林立。自然歩道もここで、え?右を北行せよとあるが無視。

ややあってここは大岩八幡神社。市内で最大の五輪塔がある。お宮に五輪塔って、どこかでみた。あ、石清水八幡にもあった。

山手台の西へりを辿ること延々3km。南端・北陵中学校西の安威0号墳。

中学校敷地内にある安威1号墳。なお山手台の中には初田古墳というのもあるが未見。

自然歩道終点(スタート地点だという説もある) 式内・阿為あい神社。中学校の傍から社叢内に分け入って正面鳥居前に出、そこからまた石段を登り返した。正直キビしかった。

脇参道側の一の鳥居前に浄土宗のお寺・阿威山大念寺。その前100mにキリシタン自然歩道起点の表示があった。乃公にとっては終点なのだが。

ここから塚原口バス停へ出、すぐ来たバスで阪急茨木経由(!)JR茨木経由で帰途に就く。

今日の総歩数 16,859 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら