♣ 独 行“念願の勝竜寺城を訪れる” ♣
明智光秀の三女として生まれたお玉。、長じて細川家へ輿入れしてキリシタンとなり「ガラシャ」の名前が有名になった。戦国の時代を信念を貫いて生きた彼女の伝説が残る城である。名前は夙に知っていたとは言いながら戦国の防衛拠点だったこの地は、それより古くから鎮座する式内社、城名・地名の由来となった名刹、新しくは地元名家を継ぐ楽友の実家等々いろいろ存在する。そういう地を何にも縛られないで気楽に歩いて見たい、その思いが今日叶ったのである。 (メインは「こちら」へ戻る) |
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中山修一氏胸像。氏にはH社京都工場地下から長岡京時代の遺跡・遺物が発掘されたときお世話になった。その実家が記念館になっている。入館せずともせめて記念写真を。(中山氏については→こちら) |
小畑川沿い。右手遥か遠く比叡山。 |
支流犬川が左から出て来る。正面遠くに愛宕山。右手ガードレールの切れ目から川原に降りる。 |
右 小畑川と左 犬川の合流点。ほろ酔いの下戸がこの飛び石を渡って勝竜寺地区に入る。 |
洛西観音霊場第十四番札所・真言宗恵解山勝龍寺。 |
近くに楽友Kさんち。その節はお世話になりました。 |
勝竜寺城公園。戦国の城・勝竜寺城跡に作られた史跡公園。新しいこともあって水濠(堀)で取り巻かれた城壁が清々しい。 |
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城というより「柵(キ)」であり、建物は見張り用の「櫓」か。そういう詮索は無用なのかも。 |
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「ガラシャ/おもかげの水」。“飲用可なれど持帰り不可”とあった。因みに長岡京市内には地下水100%の水場があともう2か所あるのだとか。 |
園内はさして広くないが、北口には光秀がここから逃げ出したのだという表示があったり、あちこちに能書きがあって楽しい。 |
あとはJR駅へ歩くのみ。途中に以前訪れた式内・神足神社があってご挨拶。そばには調査の終わった勝竜寺城の土塁が保存されていた。 |
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JR長岡京駅からバスで阪急長岡天神駅へ。特急は満員のため準急でチンタラと帰路に就く。 |
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今日の総歩数 (不明)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |