飛鳥で迷子、アンビリーバボー  2017年2月3日

♣ 独 行“明日香の式内社を歩く” ♣

“アンビリーバボー”とボヤいたのはほかでもない。石舞台を訪れてあの石積みに登った昔から、幾度となく訪れたこの飛鳥の里は、細い道筋までとは言わなくとも、頭の中で大雑把な地図が描けるくらいには知っていたつもりだ。だがどうだろう、思い込みは怖い。飛鳥坐さんから東大谷さんへ向かうはずが、石段を下りる時、真西にのびる小径の向こうに甘樫丘が見えたら、それでおしまい。“ハイ、あそこに行く”。たしかに甘樫坐さんも次の、次のターゲットではあったが、こう短絡してしまってはどうしようもない。

9時のバスで出発→JR岸辺→大阪→天王寺/近鉄阿部野橋と乗り継ぎ、近鉄吉野線飛鳥駅に降り立ったのが11時を少し回っていた。いま大和で未訪地はこれ同等、もしくは遠いところばかりが残っている。

今日の第@ターゲット・式内 許世都比古命こせつひこのみこと神社。写真は左から社頭鳥居、拝所全景(これのみ)、本殿。飛鳥駅西の高台に広がる越の集落はこの神社の杜の周りに集まっている。(独り言:「越」って許世(こせ)の転訛音か)。許世都比古神社(こせつひこのかみのやしろ) 越村にあり。今五老人と称す。【大和名所圖會】

許世都比古命神社社頭の庚申碑

越集落内の道標。向かって右面に「左おかでら(岡寺)たふのミ祢(多武峰)はせ(長谷)いせ(伊勢)道」左面に「右ち王ら(茅原)ごセ(御所)古んかうさん(金剛山)道」

岩屋山古墳。古墳時代末期の横穴式方墳。名前だけは知っていたが現物お目に掛かるのは初めて。

飛鳥駅前から“かめバス”(村内周遊)に乗って石舞台まで。220円也。

石舞台バス停近辺には蝋梅満開。

次のターゲットの鎮座する阪田集落は石舞台との比高差50m。けっこうキビシー。

途中に都塚みやこづか古墳。蘇我稲目の墓と言われる古墳時代後期の古墳。別名を金鳥塚ともいい、石舞台の南東約500mに位置する。この近所はよく歩いているのに傍に来たのは初めて。

阪田集落間近に庚申碑。

阪田は談山神社への谷と栢森の谷の間に位置する“斜面集落”。その谷筋にこんもりと鎮守の杜。

今日の第Aターゲット・くず神社。左から社頭風景と拝殿、本殿、拝殿内の「九頭竜」の額。この額と谷沿いという立地から推すと、水の神「九頭竜」を祀ったお社が「くず」→「葛」と当て字されたのではないか。式内加夜奈留美命かやなるみのみこと神社の論社の一。

取って返して紅梅の咲く石舞台を通過し、アップダウンの激しい県道15号桜井明日香吉野線をゆき、岡寺そばの次のターゲットを目指す。ウィークデーで車が少なく助かった。

いったん岡寺参道に降り、目の前の石段を登り返す。

石段の折り返し地点で岡寺の三重塔が木の間隠れに。

今日の第Bターゲット・式内 治田はるた神社。左から拝殿前の二宮金次郎像、拝殿架屋の質素な?社名扁額、本殿。このお社は南面し、西面する岡寺の山門とほぼ同じ平面上にある。説明版ではこの神社境内に旧岡寺の伽藍址が発見されたという。治田神社(はるたのじんじゃ) 岡村にあり。今八幡と称す。【大和名所圖會】

岡寺伽藍址(左)説明版

岡寺山門

15号線から西望。金剛葛城↑↓畝傍山の向こうは二上山。梅蕾固。

左は大原神社。この裏手に藤原鎌足が産湯を使ったと伝える井戸がある。手前の歌碑(右・天武天皇)♪吾が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後♪(左・藤原夫人)♪吾が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ♪。右はその大伴夫人の墓(円墳)。この社と墓は近接し、更にここから東に4km尾根を登ると藤原鎌足を祀る談山神社に至る。事ほど左様に藤原色の濃い地域。

今日の第Cターゲット・式内 飛鳥坐あすかにいます神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿(チラリ)。飛鳥坐神社(あすかにいますかみのやしろ) 飛鳥村にあり。〔神名帳〕に出づ。四座。合殿小祠五十餘前(後略)【大和名所圖會】

このお社の境内には奉納された陽石がよく見られ、それが結構有名だったのだが、気にしないで歩いたら全く見つからなかった。整理されたのか、たまたま目に留まらなかったのかは定かでない。ただ歌碑・句碑の類は階段途中をはじめあちこち見かけた。

今日の第Dターゲット・式内 飛鳥山口坐あすかやまぐちにいます神社。上記飛鳥坐神社の境内にひっそりと祠がある。飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにいますかみのやしろ) 飛鳥村上方鳥形山にあり。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。【大和名所圖會】

そこで、だ。石段を下りて正面に甘樫丘を望むメインストリートでかめバスと大和棟と縁起物の恵比寿大黒像を見ていて、右方桜井市山田へ向かうべしが、この本通りを2〜300mばかり直進してしまう。そこでやっと気が付いた。“乃公の行くべき道はここと違う”、と。気を取り直して次のお社が見える位置まで出たら、今度はGoogleMapの指示路が通れないではないか。一つは田んぼの中の鉄柵、もう一つは繁茂したブッシュ。ターゲットの石灯籠が見えているので回り道をしてチャンとした道をゆくことにする。Googleさんよ、これを以って如何となすや?

やっとこさ今日の第Eターゲット・東大谷日女命やまとおおたにひめのみこと神社に到着。同名のお社は畝傍山東麓にもあり、式内社論社の一。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。国指定史跡山田寺跡のすぐ西に位置する。東大谷日女命神社(ひがしおほたにひめのみことじんじゃ) 山田村にあり。今八幡と称す。〔神名帳〕に出づ【大和名所圖會】。なるほど境内に林立する灯篭はずべて「春日社」。(ただ一つ牛頭天王銘のものもあったが)

上述のお社のすぐ東に隣接する国指定特別史跡山田寺跡。7世紀中葉に蘇我倉山田石川麻呂によって建てられたと伝える。1982年に東回廊の一部が倒壊したそのままの形で発掘されたことで乃公の記憶に残っている。当時の新聞1面に写真入りで掲載された。・・・・・・・背後の山は談山神社から飛鳥への尾根筋。

山田寺跡から一路西へ2km。甘樫丘の北にいかづちの丘。人麻呂の歌♪大君は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも♪で有名。

更に飛鳥川を渡ると豊浦とゆら寺跡に出る。ここは現在向原寺という現役?のお寺が建っている。推古天皇豊浦宮の後を清めて日本最初の寺(尼寺)としたといわれる。

向原寺を回り込んだドン突きに坐すのが今日の第Fターゲット・式内 甘樫坐あまかしにいます神社。しごくささやかで向原寺本堂に隠されている感じ。左から(鳥居がない)社頭拝殿、本殿。そして右の写真は盟神探湯くがたちの岩(click-拡大)。盟神探湯とは允恭天皇の頃甘樫丘で行われたと云い伝える呪術的な「神明裁判」の一種。この岩の前に釜を据え、湯を沸かして行われる裁判所作が今も伝承されている。甘樫坐神社(あまがしにいますかみのやしろ) 豊浦村にあり。今推古天皇と称す。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。【大和名所圖會】

甘樫坐さんを出て北西へ1km余で今日の最終第Gターゲット・馬立伊勢部田中またていせべたなか神社に到着。当社は歴史は古いが式内社ではなく、ものの本によれば式内御歳神社に比定されている(論社)が、当社は「延喜の領幣から漏れた」と言う立場で、御歳神社論社説を認めていないようだ。馬立伊勢部田中神祠(ばたていせべたなかのやしろ) 田中村にあり。今八幡と稱す。二箇村の氏神なり。〔三代実録〕に出づ。【大和名所圖會】

斯くして今までで一日最多参詣を終えて橿原神宮前駅に辿りつく。10kmそこそこで8社というのは明日香という地ならでは成し得ないとの感を深うする。駅でチョコドーナツをかじり、大和八木、日本橋経由で帰る。少々脛ボンが痛い。

今日の総歩数 20,723 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら