♣ 独 行“大和の式内社巡り再開” ♣
大和路快速で天王寺、久宝寺と止まって、王寺(次は法隆寺)で乗り換え。近鉄田原本線新王寺から4つ目の箸尾駅下車。何年前だったか、もう一つ先の但馬で降りたことがあったなァ。 |
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この線は単線のため当駅で対向列車待ち合わせをする。 |
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駅を出たら何と、駅前のバス停に地車が飾られていて目を引く。聞けば櫛玉さん(これから行くんだ)の戸閉て祭という祭礼なのだという。えらいタイミングに来たもんだ。今夕が宵宮ということでまだ準備中。静かなものであった。明日の本祭りは賑やかなのだろうな。 |
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箸尾は古い集落。化粧品店?の前には祭りの寄付名簿が麗々しく貼り出されていた。 |
このひっそりとした街中に突如大きなお寺出現。これは本堂ではない、庫裏だ。click→全容 |
何と、ここに浄土真宗大谷派の御坊があろうとは。安静山教行寺で「箸尾御坊」と通称されるという。折から土塀の修理中で山門を中心として工事用の足場組み立て中であった。知らないことが多すぎる喃。 |
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忘れてはいけない。今日のハイキングは式内社巡りなのだ。駅から 1.2`で今日の最初のターゲット・櫛玉比女命神社。左から境内風景、拝殿、本殿。拝殿内を除いて鳥居は一切ない。それに吃驚したのが、当社は前方後円墳の後円部に鎮座するのだと。しかしどう見ても古墳墳丘らしきものが見当たらない。ぺったんこなのだ。。祭礼準備のため氏子各位が集まって忙しく立ち働いていた。大和名所図会に謂う「櫛玉比賣神社(くしたまひめのかみのやしろ) 辨財天村にあり。〔神名帳〕に出づ。」 |
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馬見丘陵の東縁に沿って流れる高田川を渡ってひたすら南下。今日はこの川周辺を巡る歩き。 |
西に折れてふと右手を見るとどう見ても古墳。そばのお家の方に聞いたら言下に「巣山古墳」と教えてくれた。全長 204bの前方後円墳。北面する。 |
櫛玉さんから西南 2`で今日の第Aターゲット・讃岐神社。現在祀られる祭神はともかくとして讃岐国の氏族がここ散吉(三吉)郷に移り住み竹細工に携わったとする伝承が残る。写真は左から一の鳥居(社殿南方 170b)、拝殿、本殿。 |
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またまた見えてきた大きな古墳。新木山古墳。東面する前方後円墳で全長 200b。陵墓参考地。 |
東面前方部の取っ付きには柵と扉がついており、宮内庁の立ち入り禁止の立て札が物々しく立っていた。 |
讃岐さんから南 2.4`で今日の第Bターゲット・穂雷神社到着。左から一の鳥居、石段に続く二の鳥居と拝殿、本殿。おそらく「火」の「雷」神社なのだろうが、社伝が失われる過程で農耕信仰から「穂」となったのだろうという。 |
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盟友OHさんと(ひょっとして)何らかの関係があるかと思いつつ訪れた乃公の目にまず飛び込んできたもの。それがこの灯篭であった。曰く「於神社」。しかし、帰宅して調べたところガッカリ(がっかりすることは何も無いのだが)。「於」は“一音節”ではなかった! |
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穂雷さんからほどなく(南 500bほど)で今日の最終ターゲット・於(又はうえ)神社。左から社頭鳥居、拝殿、拝殿から覗かしてもらった本殿。戸原さんのサイトによれば、讃岐国苅田郡には於神社(香川県観音寺市)、同鵜足郡には宇閇神社(観音寺市)神社があるという。今日のA讃岐神社といい、この地は讃岐の国と何らかの関係があるのではなかろうか。 |
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またまた古墳だ。新山古墳。大塚陵墓参考地という。全長 126bの南面した前方後方墳。 |
あとは一路駅を目指すのみ。南に遠く葛城金剛の山々。「靴下のまち」ですか?(Wikipediaによれば広陵町は全国の40%を占めるという) |
そして広陵町は「かぐや姫のまち」なのです。西方遠く二上山。 |
「広島のかき」の幟旗につられてG店で遅昼をしたため、13:56 築山駅から帰途に就く。この駅からほど近く築山古墳がある。磐園陵墓参考地といい、前方部を東に向ける墳丘長 210bの前方後円墳。この駅名の由来、仍而如件。 |
帰ってから気が付いたのだが、奈良盆地では大和川以南の川は北流する。ということは南へ向かって歩くと原則的に「登り」となる。箸尾駅と築山駅の標高差は 6b(当然築山の方が高い)。それみろ、云わんこっちゃない。乃公は今日大和盆地内で 6bの“登山”をしたのであります。 |
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今日の総歩数 14,774 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |