♣ 独 行“山城国愛宕郡式内社をゆく(続々々)” ♣
とりあえず山城国愛宕郡の式内社の主なところはここまで。そう決めて出かけた今日のハイキングは思いがけないものであった。歩いた道がたまたま東海自然歩道であったこと。そしてこれがウン十年前にも歩いた道であること。・・・雪山で滑落して1ヵ月会社を休み、復活の足慣らしに歩いた3つ目が翠黛山・金毘羅山を縦走し、江文神社へ下山して江文峠、静原、薬王峠、鞍馬と歩いた というもの。もう30年前の話か・・・ |
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北大路から京都バスに乗って終点少し前の静原バス停まで29分。いま11:31。お、あの木は神社? |
静原神社門前の公園では大イチョウに“乳こぶ”がいくつもぶらさがっていた。 |
今日の一つ目のターゲット・静原神社。式内須波神社の論社の一。左から社頭一の鳥居、拝殿(舞殿)、本殿。イザナギ・ホノニニギを祭神とするところから論社扱いされているらしい。 |
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舞殿から静原集落を俯瞰。名前に負けず静かなところだ。下の公園では女性ハイカーが2人身繕いをしていた。いざ出発。11:45。 |
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休耕田ではコスモスほぼ満開 |
「ほっとする里 静原」の掲示板。背後は金毘羅山。onmouse-看板up |
自然歩道を進み、工事事務所の間を抜けたら先が見えない。“道ダイジョウブか?” |
先が見えなかったのはバイパスが覆いかぶさっていたから。その下をくぐって峠道にかかる。12:07。 |
こういう道が微妙な傾斜を保ちつつ約1km続く。周りは杉の植林。昨日の雨で一部川状態。実に湿っぽい。 |
自然歩道がせり上がってここで漸くバイパスに出会う。12:20。ここまで自然歩道で会った人2人。 |
「三体不動明王金毘羅大権現」の碑が建つ江文峠。標高306m。金毘羅山から南の瓢箪崩山に至る山脈の一番低いところ(乗越)らしい。静原の街中で標高約200mだから、自然歩道を辿って100m登山したわけだ。 |
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10mほど右ですぐ自然歩道の分岐。ここからの下りがシビアだった。12:23。 |
もの喰う木。根っこからの養分だけでは物足りないのか。(下りの写真はこれだけ。途中1カップルと遭遇) |
有害獣防御柵にひっかかったが、人間の知恵でフックを外し柵を開けて通り過ぎることが出来た。ここで標高240m。因みにこれは通過後キチンと閉めてフックを掛けた証拠写真。 |
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そして実質的に今日が再訪の江文神社。本日のセカンド・ターゲット。左から社頭の鳥居、社号碑と拝殿(掲示には絵馬堂とあった)、そして本殿。式内・伊多太神社の論社の一で、大原の産土神。 |
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本殿前の狛犬阿形像。境内の一隅をお借りし、立ったまま昼食。12:42。 |
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社頭鳥居から南東井手集落へ500mの位置に立つ一の鳥居。 |
井手集落で左に曲がるところに道標が立ち並ぶ。左の小さい石碑に曰く「左くらまみち/右志やこゐんみち」(左鞍馬道右寂光院道) |
道すがら左西方に金毘羅山(573m)と翠黛山(577m)が並ぶ。30年前縦走した。 |
振り返れば比叡山。大比叡(848m)と四明岳(838m)。そういえば山頂バス停から大原が見えていた。 |
「大原の里展望特別招待席」なるものが道端にあって(ナーニ 木のベンチが杉林の片隅にあるだけ)そこから比叡の北に連なる山々をバックに大原の集落群を見る、それだけなのだが。ついつられて撮ってしまった。 |
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落合の滝。 |
建礼門院の墓所(高倉天皇の皇后ということで宮内庁管理)入口。pass。 |
今日の最終ターゲット・神明神社。入口がわからず、近くで溝掃除をしていたオッチャンに教えてもらった。寂光院西口のその先が写真左の社頭鳥居(何故か通せん棒がある)、舞殿、本殿。石段が苔むして濡れていて終始手すりを掴んで昇降したことを白状する。通せん棒があったのに本殿前にはちゃんと賽銭箱があった。 |
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左は内宮、右が外宮。神明造、鳥居は神明鳥居でお伊勢さんを思わせる。 |
戻って、ご存じ・寂光院。pass。 |
京都の中でも冬の早い大原だが紅葉は未だし。 |
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静原もそうだったが愛宕灯篭がよく目につく。町内ごとに最低1基あるのでは。ご町内に火事絶無を願ってのことだろう。 |
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旧道から寂光院への分岐。道標謂「左 京道/右 寂光院」。 |
かくしてゴール・京都バス大原バス停に到着。14:09。ほどなくバスの人となって四条河原町へ。 |
途中バスのドア開閉不調で高野車庫で乗り換えるトラブルがあったが、そこまで。快適なハイキングであった。道端の人びとの親切に感謝。 |
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今日の総歩数 17,433 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |