♣ 独 行“天理市内の式内社巡り” ♣
式内社も これだけ巡って天理市内ひとつで未だ回り切れないのがもどかしい。ことほど左様に奈良という土地は奥が深いということか。今回はAZハイキングやカルチャーの万葉を歩く講座などで訪れた先の再詣が半分あったが、見えていなかったところもあっていろいろ面白かったことではあった。 |
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10:51 天理駅頭に降り立つ。 |
約1kmの天理本通を抜けると目の前に笠置山地がそびえる。左向こうが天理教本部。前を通り過ぎるだけで300m。 |
幕末〜明治の頃は“いわがみさん”と呼ばれていたという石上神宮大鳥居。駅からここまで2km以上ある。 |
このお社のマスコット・鶏。11年前AZハイキングの正月例会が「鶏の居る神社初詣」だった。 |
今日の最初のターゲットは延喜式神名帳に「石上坐布都御魂神社」と記載されている 石上神宮。左から楼門(重文)、拝殿(国宝)、本殿。楼門onmouse-扁額up=山縣有朋筆「萬古猶新」特異な形で有名な当社の神宝・七支刀は国宝。 |
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次いでターゲット第Aは石上神宮の摂社で、同社楼門真向いの小高い場所に坐す 出雲建雄神社。左と中が本殿で、右が拝殿(国宝:下記)。普通拝殿を通して本殿を拝するが、ここは拝殿・本殿の間から両方を望む。因みに前述の楼門写真はここから見下ろしたもの。 |
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この出雲建雄神社の拝殿は、内山永久寺(廃絶)の鎮守社の拝殿が明治以降荒廃したまま放置されていたのを、大正3年当地に移築したという。割拝殿形式で唐破風を載せた形が優美。 |
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参道を51号線に出ると、目の前が天理大学の建物。当市内は信者詰所などを交えて将に天理教城下町。遠く生駒山。中景に沈むのが矢田丘陵。 |
近くにあった万葉歌碑 ♪ 石上 振乃神 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留♪(巻10-1927) |
次のターゲットへ向かう51号沿いは桜並木。ちょうど遅咲きの“御衣黄”と、そしてこの八重桜満開。 |
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第Bターゲットは都祁山口神社。式内都祁山口神社の論社・かつ式内畝尾坐健土安神社の論社の一でもある。上左参道と社名碑。右社頭鳥居。下左拝殿、右は本殿。参道の雰囲気はいいのだが境内はやや寂寞感あり。 |
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第Cターゲットは山辺の道ハイキングで既訪の夜都伎神社。乃公色っぽく“夜伽”と思い込んでいたが、WEB上では天理市や神社庁など5件が「やとぎ」だったので多数決でそう記載した。あと「やつぎ」が2件、「やつき」と並んで「よとぎ」は1件しかなかった。因みに鎮座する在所は乙木集落。 |
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茅葺の神社建築は関西、少なくとも当地では珍しいという。最近葺き替えたらしい。 |
境外の溜池に藤満開。 |
山にかかるので今日の午餐は、石上神宮手前のコンビニで買った助六を歩きながら。こういうのって久しぶりだ。大文字のようにトンビさえ来なければ快適。 |
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次は竹内環濠集落の上、つまり山手に坐すという情報で、その通りだったが近付くと猪防御用と思われる柵があってそれを乗り越えなければならなかった。それをくぐると左手に「オヤ、鳥居だ」。どうやらこの尾根上らしい。(この場所下に再記) |
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かくして今日の第D番目のターゲットは十二神社。直前の夜都伎神社といろんな関わりがあって同社の論社の一つである。さして厳しい登りではないが歩きの終盤に出て来ると負担感がいや増してくるのは如何ともし難い。 |
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そしてこれからが今日最大の難事だった。二つ上の写真を撮った場所に背後へ登る道があり、地形的にどうやら地図にある溜池らしかった。その堤を経由して竹内集落を通過し、大和神社へ向かう予定が、池の手前に頑丈な柵があり、これは越えられなかった。強行突破しても出口が無ければまた戻ることになる。涙を呑んでもと来た道を引き返す。“三角形の二辺の和は他の一辺より絶対に長い”ことを実感。 |
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2km以上(それも社叢が見えていての話)歩いて本日最終ターゲット・大和神社到着。当社も神名帳には大和坐大國魂神社三座とある。左一の鳥居、右は二の鳥居。因みに一の鳥居から拝殿まで約300mあるのダ。 |
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左拝殿、右は拝殿から望む本殿。写真でははっきりしないが肉眼では3棟確認。祭神は日本大国魂大神(中殿)、八千戈大神(左殿)、御年大神(右殿)と伝える。 |
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かの戦艦大和に当社の分霊が祀られていたと伝えられるが、この碑の左傍に末社・祖霊社があり同艦の乗組員が合祀されている。 |
ホンなことで本日予定無事終了。JR長柄駅からこの電車で帰途に就く。背後の杜は大和神社。 |
今日の総歩数 16,932 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |