北野天満宮から大酒神社まで  2016年2月19日

♣ 独 行“山城国葛野郡式内5社を巡る” ♣

やましろのくに(山城国)かどののこほり(葛野郡)といっても珍聞漢文だろうしペダンチックの極みだろうが、敢えてそれをやらかすのが乃公の治らないいやらしさ。京都盆地の町中を主とする地区がおたぎのこほり(愛宕郡)で、それを取り巻く地域で主として嵯峨野あたりが葛野郡としたら当たらずといえども遠からずだろうか。とにもかくにも北野天満宮の中にお土居の跡があることからしても太閤さんの時代になってもあの付近から西は“域外”だったのだろう。ということで落穂拾いとAZハイキングリベンジ(事前の)を兼ねて歩くこととした。

山城の式内社一覧ページは→ここ

明日の荒天予報をよそに皮肉にも今日は快晴。さすが京都。ウィークデーでも人出はそこそこ。西大路を走る市バスは満員だった。

一の鳥居をくぐってまず買い求めたのは梅園観覧券。茶店でのお茶菓子付きで大枚七百円をはたく。

梅@

梅A

梅B

「麩焼煎餅/菅公梅」と「香梅煎/北野老松」なるセット。そばのポットから湯呑にお湯を注ぐと係の女性は立ち去ったのでこれでいいものと思って煎餅を食べ、お湯を飲んだ。心なしかお湯に香りがついているように思ってその場は納得したのだが、立ったとき傍のお客の言葉「白湯やないか」。(帰宅してY子さんに渡したら“お湯に溶かして飲んで下さいやったんと違う?”と言われた。思い込みは怖い。)

梅C・・・・・茶屋前から

梅D・・・・・お土居跡梅園で

菅公御歌の碑。♪このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに♪

梅園から本殿西側に入る。

今日のターゲット@=北野天満宮境内神明社しんめいしゃ(式内高橋神社論社)。危うく見落とすところであった。本殿西側に北面して坐す。神名帳には所在が愛宕郡となっている。

これは本殿裏に坐す「地主神社」。天満宮中最古参のお社。

天満宮拝殿・・ではなくて「本殿」

今日のターゲットA=北野天満宮境内伴氏社ともうじしゃ(式内伴氏神社論社)。三の鳥居の少し左手前に東面して坐す。ずんぐりした鳥居は国の重要美術品。たわわに実ったタチバナの実に蔽われている。

Sample

太閤井戸と・・・ onmouse-向こうの碑 up

東口を出てお社の北側に回り込むと、向こうに平野神社の鳥居が見える。

Sample

今日の第Bターゲット・平野ひらの神社の鳥居。社殿すべて東面する。 onmouse-扁額 up

東神門

中門とその後ろに本殿。本殿は4殿2棟からなり比翼春日造(別名平野造)という独特の形式(とWikipediaにあった)。都名所図会にこう記す。平野社(ひらのしゃ) は北野より乾にあり。祭れる神四座なり。源・平・高階・大江、この四姓の氏神なり。第一今来神(日本武尊、源氏)、第二久度神(仲哀天皇、平氏)、第三古開神(仁徳天皇、高階氏)、第四比盗_(天照大神、大江氏)。

拝殿(舞楽殿)と神木・大樟。そばに200kgという磁鉄鉱石があった。因みに当社は桜の名所として知られる。

ここから西へ立命館大学衣笠キャンパスの南縁をなぞって一路西へ。途中龍安寺入口(左)や等持院墓地(尾上松之助の墓所が立命キャンパス内にある)への入口表示があったりしてなかなか面白い。この間約2km。

本日のターゲットC・住吉大伴すみよしおおとも神社正面鳥居。大伴氏の系譜をひいたお社の筈が有為転変があって祭事が廃絶、所在も一時不明になり、いま北野天満宮内の伴氏社と当社が式内「伴氏神社」の論社。しかしいずれも疑問符がつけられている。

拝殿

覆屋内の本殿

車道を隔てた住吉山麓に大伴家持の「海行かば」の碑が建っている。万葉集巻十八4094番「賀陸奥国出金詔書歌」(長歌)の一部。

道なりに西行すると仁和寺の山門。この前をひたすら行く。

ものの500m行くと道は六差路となり、その東北角に一段高く坐すのが今日のD番目ターゲット・福王子ふくおうじ神社(式内深川神社論社の一)。左から社頭鳥居、拝殿(舞楽殿)、中門と本殿。都名所図会に曰く、福王神社(ふくおうじんのやしろ) 仁和寺の西、福王寺村にあり。祭るところ光孝天皇の后、寛平法王の御母なりといふ。土人産沙神とす。例祭は九月二十八日、神輿一基。

     

そして同社末社として向かって左に坐すのがターゲットE・夫荒社ふこうしゃ(これも式内深川神社論社の一)。左は拝所(中門?)、右は本殿。 当社も伴氏神社同様 来歴に疑問が多く一概に納得できないが、後世こじつけられた来歴もそのもととなった伝承の存在が窺われ、現在の我々は受け入れるしかない。

西口をでたところは前述の六差路。大きな愛宕灯篭があたりを睥睨する。ここから西北へ周山街道、西へ一条通りが伸びてこれが愛宕山参詣道につながる。

上述二つの道の間をとって西方・鳴滝の在所へ。宇多野の山塊が前を塞ぎ、鳴滝川に沿って家が立ち並ぶ。意外なことに古い造りの民家は殆どない。そのなかにHMさんのお宅があるので少し道草をしてみた。すぐわかったが、時は昼。陽は真上。流石にピンポンダッシュもならず、しばし逡巡ののち黙って立ち去ることにした。次のターゲットが「大酒神社」で、彼が先日すこし聞し召し過ぎて暫時ダウンしたその事後見舞いを兼ねて、そしたら話もよう合うし、と思ったのだが。いやいやいらんことをしない方が宜しい。 最終ターゲットはここから真南へ約2km。

今日の最終ターゲットは秦氏関連でもとは広隆寺境内にあったと伝わる大酒おおさけ神社(式に「元名大辟オホサケ神」とある)。気の毒なくらいささやかな境内。

一間社流造の社殿。これしかない。都名所図会に謂う。太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ) は洛陽二条通りの西なり。(中略)大酒(おおざけの)明神。天照太神・八幡宮・天満天神を祭る。一説には秦の始皇を崇めるとも、または秦川勝の霊を祭るともいふ。

社頭の石標「太秦明神 呉織神 漢織神」、側面には「蠶養機織管弦楽舞之祖神」とある。

そして広隆寺。山門前には「太秦廣隆寺」の寺号標柱。ここは市道上を電車が走っている貴重な撮影スポットだがそれは知らなかったことに。先に来た電車を優先して嵐山回りで帰途に就く。少し雲が増えてきたが総じていいお日和で結構であった。

今日の総歩数 15,727 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら