松本城から上高地へ  2015年10月6日

♣ G34会旅行 “信州 歌のジョイフルツアー”-1- ♣

  

G34会が卒業以来泊りがけの旅を再開して数えて11年。
 2004.10.9(グリー100周年/卒業45年記念=高槻かじか荘)、2005.1.24(柳瀬君を励ます会=かんぽの宿湯田)、2006.3.31(古希記念=湯河原ウェルシティ)2007.11.9(50年宵々山=南禅寺洛水一部泊)、2011.7.10(序ででもいいではないか会=浜名湖ロイヤルホテル)、2012.5.24(鞆に青春を訪ねる会=鞆島ここから)、2013.10.2(関西34会新年会=白浜コガノイベイホテル)、2013.10.2(喜寿記念=会津若松御宿東鳳)、2014.11.7(九州センチメンタルジャーニー=湯布院津江の庄&内牧阿蘇プラザホテル)
 数えて9回、今回が10回目となる。過去最高19人、今回は13人参加となった

名古屋で特急“しなの”に乗り換えて、

松本で関東組と合流。あれ2人足らん?手洗いか。ここで午餐。

駅から西望。遠く北アルプス。快晴だ。

今日から丸2日間お世話になるマイクロバス。それにしても松本駅舎は新しくなり過ぎ。

今日のコース=松本駅集合(午餐)→松本城→上高地・大正池→(自然探勝路・駐車場経由)→河童橋→上高地アルペンホテル⇔ウェストン碑(有志)

Sample

1504年築城と伝える国宝・松本城。まず西面。乃公訪れるのは52年振り(→1963
onmouse→集合写真(YEさん感謝)

南面

そして東面。こちらが正面。手前広場は本丸御殿趾。

天守の天井梁上に祀られる二十六夜神。松本城の守り神と伝える。

凄い段差の天守“登山”で皆「本日の予定終了」状態。

城の西に架かる「うずの橋」。向こうに旧開智学校校舎(重文)の塔が見える。1876年竣工とか。

かくして再び車の人となり一路西へ。梓川沿いに上高地を目指す。島々から徳本とくごう峠越えに難渋したウェストン、1時間に4回各3分間しか車が通れなかった旧・釜トンネルなど、上高地が今のようになるまでに経てきた歴史をタケヒコ君の名解説で聞きながら車はいつしか大正池畔着。ここから河童橋まで散策3.3km。

大正池はコロリと様変わり。池の象徴だった立ち枯れ木が激減している。

カモ

マユミ(檀)。

 

Sample

大正池生みの親・・・・・焼岳(2,455m)。onmouse-up
世話役タケヒコ君は2日目釜トンネルを抜けるとき呟いた「上高地滞在中焼岳が噴火して缶詰になったらどうしようと思っていた」と。最近あちこちでよう噴いているもんナ。。。心中察するに余りある。

田代湿原。正面に穂高の吊り尾根が霞み、右に明神岳(2,931m)。

田代池。

梓川の清流。

さぞ冷たかろうと掬ってみたら..冷たかった。半世紀前は靴を脱いで膝まで浸かったのに。

明神岳に虹かかる。左は前穂高岳(3,090m)。

いつしか霧は晴れ、右に霞沢岳(2,646m)。

河童橋だ!

河童橋畔のケショウヤナギ(化粧柳)の大木。

Sample

河童橋袂から右岸を5分下がったところに今宵の宿・上高地アルペンホテル。

河童橋上からの定番風景=岳沢と梓川。

投宿後、有志で日本アルプスの山々を世界中に紹介した登山家ウェストンの碑を訪れ、献歌する。

夕食後、ホテルロビーで愛唱曲をハモり、三々五々集まった宿泊客の皆さんに聞いて頂いた()。
喜んで聞いて頂けたようで嬉しかった。又、場を提供していただいたホテルの方にも感謝。
(写真はYE兄提供・感謝)

(下は今日のコースマップ)