♣ 独 行 “信貴山朝護孫子寺” ♣
別に比叡山上バス散策に味を占めたわけではない。が、朝食後「暑い家の中に逼塞しているよりお山へ行こう、六甲山?摩耶山?金剛山?葛城山?生駒山?蓬莱山?妙見山?・・・」と考えて「そうだ、信貴山へ」と脈絡もなく思いつき決定。となると西のケーブル経由山上バスで、下りはあっちのバスで王寺へ、と安易なコース選択で出発。 |
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西信貴ケーブル線信貴山口駅で待機する「しょううん」号。ここから高安山駅(標高420m/高低差354m)まで延長1.3kmの路線を約7分で登る。車体に描かれているのは信貴山のイメージキャラクター“しぎとらくん” それにしてもこれって「翔雲」なのか「勝運」なのか、、、 |
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ケーブル高安山駅前に昭和5年から19年まで運行されていた山上平坦鉄道線「信貴山電鉄」のホーム跡がある。onmouse-up |
そのそばからかつての電車と同じルートを走るバス便(信貴山門行き/2.1kmの行程) |
終点信貴山門バス停は相変わらずひっそり。けどこの道沿いに旅館や料亭があるのだ。 |
木立の中に朝護孫子寺本堂が見える。onmouse-up |
開運橋からダム湖(大門池)と下の信貴大橋を俯瞰(大門ダム:2015年6月完成) |
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開運橋は国の登録有形文化財 |
渡ったところで参道に合し、一の鳥居。扁額が「多聞天」。これは毘沙門天の別名だそうな |
すぐ右に式内社「猪上神社」 |
なんとも言えぬくらい小さい。ここでは神事すべて朝護孫子寺さんがなさるのだとか |
二の鳥居を通して本堂が見えてきた。ここも扁額が「多聞天」 |
信貴山の象徴・巨大な張子の虎。あちこちに“信貴山は何故トラが?”の説明が書いてある |
♪舟をも呑まん様見えて♪ ならぬ「本堂を呑」みそうなトラ |
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赤門 |
当寺の神木・榧(かや)の木。樹齢1500年とか |
「毘沙門天王」の扁額が掛かる本堂 |
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本堂から東方に奈良盆地を望見できる |
西方は境内の堂塔が立ち並ぶ |
本堂地下の戒壇巡りに挑戦。真っ暗な中ちょうど真ん中あたりに「如意宝珠」を奉安した扉があり、その錠前に触れることで功徳が得られるという。乃公の触れたのはその錠前だったのだろうか |
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本堂片隅の温度計。正午前の気温は28.5℃ |
訳もなく“商売繁盛”という言葉が口をついて出る |
トラが大きな口をあけているのは「四国八十八ヶ所御砂踏み」。食べられてお尻から出た |
当寺で一番古いトラと言われるのがこの「笑寅」。けどなんだが不気味 |
仁王門からのぞくと何やら古い風景。これが正面参道。左の赤っぽいのは?(↓) |
仁王門を振り返る |
千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵千体地蔵・・・ |
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バスをつかまえようと信貴山バス停までゆく。ここはかつての東信貴山ケーブルの上の駅跡で今はバス停になっている。下の木立の中を真っ直ぐ下ってゆく道があり、かつてのケーブル軌条跡と知れる。バスで下山予定だったのがコロッと気が変わり、「歩こ」。時は12時半。次のバスは20分待ちだモン |
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途中道端に「笠地蔵」。お一人だけだが。 |
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三郷町配水場から南に二上山・葛城山を遠望(金剛山は雲の中)。 |
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勢野(せや)の街なかで二十丁石発見。信貴山への参詣道町石と思われるが、今日の行程中ではこれしか見付けられなかった。 onmouse-up |
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さっきの配水場を右折して高校沿いに軌条跡の急坂を下れば、直線で近鉄信貴山下駅へ出られた、と知ったのは帰宅後。ドライブウェイを道なりに下ったむくいか、気が付いたら近鉄が右に見える。近くの郵便局へ飛び込んできいたら係員、一瞬言葉を飲み込み「案内しましょか?」と宣うた。すぐ裏が勢野北口駅だという。鄭重にお断りし、ここまで来たのだから王寺駅まで歩こうと凡その訂正ルートを辿ったがこれまた遠回り。人間が素直でないことを悔いても後の祭り。711コンビニまで引き返し、大和川畔に出て後戻り、橋を渡り、王寺駅に着いたときは汗の中に帽子がある状態。ようやるよ。 |
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今日の総歩数 不明  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |