♣ G34会旅行 “九州歌のセンチメンタルジャーニー”-3- ♣
旅も3日目で今日が最終日。学生時代の演奏旅行以来1泊以上の旅をしたことがなく(オプションを除く)、しかも全員78歳の“幸齢者”でその上最終日の移動が電車とタクシー。荷物を担ぎながら駅の階段を昇降するのは将に体力勝負である。いかが相成りましたか、まずは下記を御覧うじろ。 |
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クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」 |
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阿蘇山(根子岳)の左に朝日が出た。これを数分前に屋上の桧露天風呂から見たのダ。 |
ロビーで出発前のくつろぎのひととき。 |
シャトルバスで阿蘇駅(半世紀前は「坊中駅」)に着くと・・・ |
えっ、これは噂に聞く七つ星の専用バスではないか。社内の調度は木製だ。 |
そう。クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」が停まっていた。この列車の3泊4日コースは4日目が金曜日(今日)になり、6時03分当駅に着き、8時50分豊後竹田へ向けて発車、大分、湯布院、日田、久留米を経て終点博多に15時31分帰着するという。我々の列車が4分先に発車し、七つ星の発車を見ることが出来なかった。 |
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立野駅でスイッチバック。珍しい。ここも豊肥本線だからあの七つ星も必ずここを通るのだ。 |
肥後大津で乗り換え、阿蘇から1時間半かかって熊本駅到着。 |
熊本城は学生時代以来だから実に五十ウン年ぶり。西側(裏側)から見た天守と小天守 |
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「三の天守」と呼ばれる宇土櫓。3重5階地下1階 |
宇土櫓から大小の天守を望む |
正面から見た天守の威容(東向)。大天守は3重6階地下1階、小天守は3重4階地下1階 |
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2007年に復元が完成した本丸書院大広間 |
「二様の石垣」。清正時代の勾配の緩やかな石垣(右側)と細川時代の勾配の急な石垣(左側) |
御城近くで昼食をしたため、駅に戻り、大牟田へ出て西鉄で柳川へ。ここで重大事項に気付き、水郷巡りを端折り、久留米で新幹線に乗り換えるよう変更した。“沖の端”に行けなかったのが何としても残念・・・ |
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水郷巡りの舟はこの三柱神社大鳥居前からスタートする。“銅の鳥居”? |
神橋のそばが発着場。“欄干橋”? |
われらがお召舟の船頭さんは美声(負けソー、いや 負けた) |
「史蹟柳川城堀水門」で右折 |
これがその水門。過日の白秋祭を過ぎて急に川の水位が下がったとか |
白秋歌碑♪ついかがむ 乙の女童 影揺れて まだ寝起きらし 朝の汲水場に♪ 白秋 いいねエ |
水と柳と。それ以外に何が必要なのか?と問われているみたい。“水に映ったそのかげ”? |
水産堂のなまこ壁。ここにも白秋 ♪夕凪の 干潟まぶしみ 生貝や 彌勒むく子の 額髪にして♪ |
三橋美智也の歌のように♪嬉しがらせて泣かせて消え♪るのだろうか。そんなことないよね、若いおんな船頭さん。(Mr.Otokomae撮影:謝々) |
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最後にもう一つ白秋の歌碑 ♪色にして 老木の柳 うちしだる 我が柳河の 水の豊けき♪ |
昭和33年3月26日久留米演奏会の前日 有志が柳川に遊んだ(下の写真共々) |
<柳 河> ♪もうし、もうし、柳河じや、/柳河じや、/銅の鳥居を見やしやんせ、/欄干橋を見やしやんせ。/(馭者は喇叭の音をやめて、/赤い夕日に手をかざす。)/薊の生えた/その家は、/その家は、/旧いむかしの遊女屋。/人も住まはぬ遊女屋。/裏のBANKOにゐる人は/あれは隣の継娘、/継娘。/水に映ったそのかげは、/母の形見の小手鞠を、/赤い毛絲でくくるのぢや、/涙片手にくくるのぢや。/もうし、もうし、旅のひと/旅のひと/あれ、あの三味を聞かしやんせ、/鳰の浮くのを見やしやんせ。/(馭者は喇叭の音をたてて、/あかい夕日の街に入る。)♪ 白秋「柳河風俗詩」 |
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これですべての予定終了。久留米乗換、博多乗換とせわしなくも何とか予定の山陽新幹線の人となった。「終わり良ければすべてよし」。高森ツアコンさん、ST金庫番さんに深甚の感謝。 |
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