中津から湯布院へ  2014年11月5日

♣ G34会旅行 “九州歌のセンチメンタルジャーニー”-1- ♣

  

われわれG34会メンバーが卒業以来となる泊りがけの旅を再開して10年になる。曰く、

2004.10.9(グリー100周年/卒業45年記念=高槻かじか荘)、2005.1.24(柳瀬君を励ます会=かんぽの宿湯田)、2006.3.31(古希記念=湯河原ウェルシティ)2007.11.9(50年宵々山=南禅寺洛水一部泊)、2011.7.10(序ででもいいではないか会=浜名湖ロイヤルホテル)、2012.5.24(鞆に青春を訪ねる会=鞆島ここから)、2013.10.2(関西34会新年会=白浜コガノイベイホテル)、2013.10.2(喜寿記念=会津若松御宿東鳳)

数えて8回、今回が9回目となる。過去最高19人、少なくても14人の参加があったが、今回は流石に遠方しかも2泊ということで11人参加となったのはやむを得ないか。ただ備中高梁日帰り以来の往年のお嬢さんお三方の参加は諸般の事情から我々にとってはラッキーだった。快く参加して下さったお三方に深甚の感謝。

新幹線を小倉で乗り換え昼前まず最初の地・中津到着。さっそくバスの人となり 目指すは中津城

今日のコース=中津城→合元寺→(午餐)→福沢諭吉旧居・記念館→耶馬渓・青の洞門→羅漢寺→深耶馬渓→日田市豆田町→湯布院・津江の庄

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中津城ゴールデン・アングル。onmouse-yossan撮影画像up。謝々

中津城天守。これは模擬天守で云々は云うまい。青空にそびえる白亜の・・・で結構。黒田官兵衛がらみで観光客が多い。

この城を訪れる城郭ファン必見という「細川氏普請の石垣(左)」と「黒田氏普請の石垣(右)」の継ぎ目。

通称“赤壁”合元寺ごうがんじ。黒田官兵衛が中津城入城後、前城主家臣がこの寺に立てこもって黒田勢と戦って死んだ。その血痕が消えないため壁をすべて赤く塗り替えたと伝える。内側の一部の色が褪せているので「消えるやんケ」という無粋な呟きは聞かなかったことにしよう。ここは浄土宗(西山派)のお寺。

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お昼は onmouse-お膳up

福沢諭吉旧居。脇に記念館がある。

旧居裏の土蔵二階を覗いたら、薄暗い中に等身大の諭吉童像がヌッと現れて吃驚。

われらがお召車・天瀬あまがせ観光のマイクロバス「G34年会」号。

市内から山国川沿いに約14km遡行、本耶馬溪・青の洞門到着。

岩峰の連なりが見事。その名も競秀峰。この川沿いに青の洞門が掘られた。

1906〜7年軍用道路として拡幅され、洞門は現在1車線プラス歩道の広さがある。がしかし、

禅海和尚が托鉢で資金を集めて工人を雇い、手作業で30年かけて掘り抜き1763年に完成したと伝わるのがMAXでこの大きさ。

青の洞門から東南、車で約10分のところにある羅漢寺。3千数百体の羅漢・石仏で有名。

これは山門。左上は千体地蔵。何しろ岸壁をへつって道が付いている。晴れていてよかった。雨の日には歩きたくない道。滑りそう

本堂。左記の山門もこれもすべて岸壁に押し込まれたように建てられている。

無漏窟むろうくつには五百羅漢。しゃもじが一杯奉納されている。

羅漢寺から南、車で約半時間かけて深耶馬渓に到着。残念ながら時間が遅くて紅葉は写真にならず残念。

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深耶馬渓しんやばけいの一目八景の一・夫婦岩。onmouse-up

名勝一目八景の一・群猿山ぐんえんざん

深耶馬渓から西40kmで日田着。古民家の残る豆田町の夕景を楽しむ。が、時間がなくなってきた。

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旧い佇まいを残す商店街。遠くに日田が天領だった時代代官の居城があった月隈山の森が見える。

クンチョウ(薫長)酒造の酒蔵資料館

廣瀬資料館。廣瀬家は江戸時代屈指の豪商、儒学者廣瀬淡窓の生家

大分県最古の商屋・草野家住宅(重文)

日田から東へ50km余戻って湯布院温泉は津江の庄に一日目の宿り。今日は盛り沢山だった
(下は今日のコースマップ)