♣ 独 行“白良浜から円月島へ” ♣
白浜バプテスト基督教会奉仕を無事終え、教会員の方々と受餐会での交歓ののちバスターミナルへ。生憎と言うか、大阪行き高速バスの出発まで1時間余ある。みなさんはすぐそばの喫茶店になだれ込んだが、乃公は前回歩いていないところをということで、白良浜から権現崎を回り込んで円月島お目見えポイントまで約40分ぶらぶらを楽しんだ。とは言いながらブレザーにザックを背負い傘を差しカメラを持ってというのは気分的にややキツかった喃。 |
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外人さん5人家族が人影まばらな海岸で脱衣している。真っ先に飛び出したのは一番ちびっ子。そのあとにご夫人を除いて全員海に入ったのには唖然とした。 |
歌碑♪波よする しらゝの濱の からす貝 拾ひやすくも おもほゆるかな/西行♪ |
37代斉明天皇即位後、前天皇の子有間皇子は病気療養と称して牟婁の湯(白浜)に赴いた。左はそれを記念する碑。皇子はのちに天皇への謀反を問われ藤白坂で非業の死を遂げた。右はこの碑の裏面。 |
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権現崎に坐す熊野三所神社南鳥居。白良浜に面する。背後の権現崎の社叢に歴史を感じる。 |
1929年南方熊楠が昭和天皇を迎えて進講した折使用した舟を格納する「御座船奉安庫」 |
西宮白浜惠美壽神社。いわば西宮エベッサンの支店。 |
熊野三所神社本殿。熊野三所とは熊野三山のことで別宮的存在という。(撮り損ねたのでネットから拝借。謝) |
齊明天皇行幸之史蹟。大化の改新を伝えられる7世紀中葉に既にかくのごとく有名で湯治に使われていた。 |
境内にある後期古墳「火雨塚」。直径8mの円墳で横穴式。古墳時代後期は7世紀といわれ、斉明天皇などの時代が重なる。 |
東(微北)向きの正面鳥居。ただ本殿が南(白良浜方面)向きなので、これが元々正面だったかは疑問 |
権現崎を北に回り込むと瀬戸漁港。目の前に円月島。 onmouse-up |