五百立いおだて神社  2014年10月18日

♣ AZハイキング第160回例会巻末付録 ♣


大和国添上郡・五百立神社】東大寺中門を背に向って左手・この碑がある。(丘頂には鉄道職員殉職者供養塔が建つ)


勧学院の大屋根を背に五百立山(小丘)斜面に坐す、式内・五百立神社


大和名所圖會曰く、五百立神社(いほたちのかみのやしろ) 東大寺眞言院の北にあり。〔延喜式〕に出づ。今五百餘社(いほよしゃ)と称す。」。朱塗塀の右側に掲示する案内板によれば、「当社は五百余所社とか五百立神社と称せらる。五百余所社の社名は天喜四年(1056)五月の東大寺文書に二十五所社・気比気多神社などと共にその名が見える。中世の絵巻物などには、大仏殿創建に従事した五百人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢になって天空高く飛び立ち、姿を消したとの説話がみえる。本来の祭神は定かでない。 大仏殿江戸期再建の祭にも、五百余所社は大工・小工の崇敬を集めたようで、番匠社とも呼ばれ、宝永6年(1709)三月の大仏殿落慶法要を前にした正月六日に、大工頭領堀内筑前守(若狭)が新建寄進している」とある。