和泉から岸和田を闊歩する  2014年1月24日

♣ 独 行“泉州の式内社巡り 通算6回目” ♣

今日のタイトルは「闊歩」。ものの本によると「闊歩」は「大股でゆっくり歩く」ことだそうだ。大股はともかく決してゆっくり歩いてはいないのだが、前回の“彷徨”の対語とご了解下され度く。それにしても、だ。“彷徨”ではない、と踏ん張ってみたものの、やはりどこかでさまよっていることがありあり。まずはとくとご覧うじろ。
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泉北高速の和泉中央駅を出てすぐ右手に溜池群が広がる。近くの団地群の公園として整備されたことがありあり。曝気噴水がそこここに。

唐国町から東ヶ丘町へ入って暫くするとさっき歩いていた道が溜池の向こうに見え、道沿いに鎮守の森らしきもの。「やや、あれが・・・」しかし新興住宅地の常で200mがとこ無駄な回り道を余儀なくされた。

そして間違いなく一番目のターゲット・淡路神社。所在はその名も摩湯まゆ町。あの古墳の所在地に来たのだ。

摩湯山まゆやま古墳。古墳フリークだった頃から一度訪れたいと思っていた古墳の一つ。近くにある山直やまだいという在所がかの「邪馬台国」であるとする一部の論者により、この古墳こそ かの“径百余歩”という卑弥呼の墓だとする 論陣が張られたことがあった。今は昔。手前の碑に曰く 「史跡 摩湯山古墳(昭和31年5月15日国指定)/西北流する牛滝、松尾の二川の間、南より伸びる丘陵の西北端に位置し、前面の平野を一眸に望む景勝は、規模の大きさとともにこの古墳の容姿をよりいっそう際立たせている。丘陵の先端を利用して築造されたもので、丘の方向に従って東南から西北に主軸を置く前方後円墳で全長約200メートル、前方部幅約100メートル、後円部径約130メートルを測り墳丘には埴輪の列も認められる。その形態の特徴から古墳時代前期のものと思われ、和泉地方を代表するばかりでなく全国的にも重要な古墳である。/平成7年3月/文化庁/大阪府教育委員会/岸和田市教育委員会」

それ、言わんこっちゃない。すぐ迷いだしたではないか。そう、淡路神社の次にメモにあったのが「穂椋神社(菅原神社)」。マップ通り進んだが、旧集落の常で細い道が入り組み、岡山町の街中で自転車で出かけようとしたオッチャンを捕まえて聞いた。「菅原神社はどこ?」。そう、「穂椋神社」と聞けばよかったのに、なまじ「菅原神社」の名前の方がポピュラーと思って聞いたのが運の尽き。「あー菅原神社はね」で始まった説明は方角的にも正反対の別の菅原神社だったのだ。それがこれ(涙)。

なるほどここも菅原神社(岡山町在)。円満寺という立派なお寺さんと隣り合って並ぶ。しかし、よく考えれば(よく考えなかったのだ)目指す穂椋神社(菅原神社)は三田町在とはっきり書いてあった。しかも神社本庁のホームページには社頭に「穂椋神社」という立派な社名標柱の写真まで掲載されていた(→ここ)。それを見たはずなのに、ついついこのときはオッチャンの言葉を100%信じてしまった。あーあ。

その円満寺境内のロウバイ。<もはや狼狽しなかったが>

気を取り直して(笑)差しかかったのがかの有名な久米田池。大阪府下で満水時最大面積の池だという。今水を抜いて干し上げている最中で、わずかに残った水たまりにサギが群がっていた。田植えが近くなれば満水にするのだとか。 click-up

久米田寺。久米田池維持管理のため僧行基によってつくられたという。中には入らなかった。

久米田古墳群の一・風吹山古墳(帆立貝型古墳)。残念ながら古墳群中最大の貝吹山古墳(前方後円墳)を見つける時間がなかった。お寺の真後ろらしかった。

Sample

某家土塀上の魔除け?大黒さん。なかなか凛々しいお顔ではないか。onmouse-up

そして阪和線踏切を渡り第二阪和国道を越えると中央公園の向こうに今日三つ目のターゲット・兵主神社。

境内に咲く梅。早咲き。

そして東北へ真っ直ぐ1.8kmでこの夜疑やぎ神社に着く。この名前「夜を疑う」って?と神職さんに聞いたら、これは音を漢字に移したいわゆる万葉仮名だ、と。今は「八木」と書かれるのと同じと聞いたが、まあよくもこういう名前を残したものと感じ入った次第。

ハイ、今日はこれでおしまい。西北へくねくね歩いて約1.5kmで南海忠岡駅へ。

今日の総歩数 25,182 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら