約50年ぶりの姫路城大改修も、修復現場を観覧できるのは明けて1月中旬までという。それを聞いて駆けつけたメンバーは12名。 何に時間をとったかといえば、歩きでも見学でもなく、ひたすらエレベータの順番を待つ、その時間がハンパなかった、ではなく半端ではなかった。しかし大天守の第八層と面一の最上階からの眺望は何物にも換え難い素晴らしいものであった。そう、天守側(北面)を観察しているより、南方の景色を眺めている時間の方が長かった、ような気がする。 |
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上左の写真は1956(昭和31)年12月、所属するD学生混声合唱団が姫路市民クリスマスへ歌いに行ったときの写真。 姫路城は半世紀前の大修理中であった。右はその修理完成記念の切手 |
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姫路城公園から天守閣を望む。前景は チの櫓。 |
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カの櫓 |
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菱の門。向かって左の柱に日本で初めて指定されたときのものという「國寳姫路城」の木看板がかかる。onmouse-up |
ぬの門。正面石垣は“人面石垣”だと説明があった。現場では頷いたものの、いま写真で見ると??? |
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各時代の大天守の鯱瓦展示。江戸時代のものは三分割で焼き上げて組み合わせてあるという |
甲冑展示 |
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二の丸から大天守を仰ぐ。手前の人だかりは、下記↓ |
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「播州皿屋敷」で有名な「お菊井戸」 |
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鉄骨で組み上げられた見学施設「天空の白鷺」にエレベータで登る。8階から下に三の丸庭園、大手通そして姫路駅。遥か南方に瀬戸内海を望む |
同所から西の丸を望む |
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大天守第八層の屋根の上の鯱(=平成のシャチホコ) |
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ここ「天空の白鷺」8階は天守第八層屋根とツライチ。左上に鯱が見える |
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7階に下りると 第七層屋根の破風が目の前である |
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百間廊下に囲まれた西の丸。手前は三国堀 |
西にすぐ男山。千姫天満宮が鎮座する |
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西方パノラマ |
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本丸から西小天守を仰ぐ |
西小天守の後方は乾小天守 |
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十月桜 onmouse-up |
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下土塀の銃眼(矢狭間)列。左写真正面向こうに見えるのは西の丸の化粧櫓 |
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お城前の「たまごや」で「玉かけめし」を賞味する。赤出味噌汁・お新香付きで五百八十円也。卵・ご飯のお替り自由。ご飯は流石に??だったが、やや小ぶりの卵はおいしく お替りした人が何人もいたようだ。 |
食事後、納会を兼ねた打ち上げの予約時間までの時間つぶしで 姫路城一周に出発。 |
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姫路市立美術館。旧陸軍第10師団の兵器庫・被服庫(明治38年建築)を保存活用したものということで、煉瓦造の落ち着いた佇まいはすばらしい。展示物観覧のつもりはなかったものの、とりあえず入館して一刻雰囲気を楽しんだ |
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北背隠曲輪の端っこに鎮座し、お城の鬼門を守るかのような姫路神社。前藩主を偲んで明治維新後つくられたお宮だという |
北背隠曲輪の一角で。向かって左手・内堀との境が土塁で、しっかり目隠しになっているのがわかるが、ここは秘密兵力の隠し場所だったという。宜なるかな |
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北背隠曲輪とお城(右手)の間は背隠堀。内堀につながる |
北背隠門からお城の背中を望む |
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背 隠 曲 輪 名 残 の 紅 葉 |
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白鷺城の堀にサギ(アオサギ、コサギ)の群れ (レの渡櫓下あたり) |
ワの櫓(城郭南西隅) |
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ワの櫓遠望 |
かくして本年度の最終月例会は滞りなく終了した。やや時間を持て余した感無きにしも非ずだが、これでもかという黒田官兵衛PR幟旗に囲まれて何事もなく打ち上げられたことで良しとしよう。 ただ今年は同好会仲間お二人とお別れをし、さみしいことであった。どうか新しい年を迎えても、われらがK大人の上にそれなりのご健康を、そして会員諸氏の一層のご健勝を祈るや切なるものがある。 |
応接室にK大人ご来駕 |
行程表及び参加者
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記念写真
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打上兼忘年会
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同左
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今日の総歩数、ルートマップはともに省略 |