♣ Glee34会会津旅行・前篇 ♣
われわれ34会は卒業以来折に触れていろんな集まりを楽しんできた。卒業記念、以降の周年会合、そして古希記念、50周年記念。今回は言うなれば喜寿記念の旅行。たまたま今年の大河が「八重の桜」だったこともあって、随分早くから会津旅行の計画が進んでいた。しかし一番楽しみにしていたわれらがマエストロ・市島章三が急逝、加えて中心になってマネジメントを進めてきたOTくんが出発日の東京駅で不調を訴えダウン。でもこの旅を楽しみにしていた連中のためにも、参加者でテンションを上げていい旅にしよう、言わず語らずのメンバー17名は昼過ぎ郡山駅で貸し切りバスに乗り換え一路会津を目指したのであった。 |
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会津といえば磐梯山。磐梯山といえば猪苗代湖。その湖畔で下車。目指すは言わずと知れた野口英世生家。 |
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しかし、だ。このものものしい覆屋根はいったい何だ? |
清作が幼時落ちて大火傷を負ったと伝えられる囲炉裏。 |
野口英世記念館点景 |
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そしてひと山越えるとそこは会津盆地。まず会津藩校であった日新館を訪う。ここはかの白虎隊隊員たちも学んだという。 |
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19世紀初頭に会津若松城の西隣に開校し上級藩士の教育所となった。戊辰戦争で焼失。1987年に現在の地に再建された。 門前の銅像はこの日新館に学び、白虎隊員の生き残りといわれ、後に東京帝大総長となった山川健次郎。 |
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孔子をまつる大成殿。 |
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わが国はじめてといわれる水練場。さしずめ江戸時代版プール、か。 |
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天文観測をした高台「天文台」から広大な校地を一望。 |
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そして鶴ヶ城とも称される会津若松城へ。 |
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会津若松城天守閣。1868年(慶応4年)戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。(Wikipediaより引用)。因みに破却されたのは1874年。破却後、現状に再建されたのは1965年。 |
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又の名を鶴ヶ城、もしくは黒川城ともいう。 |
北東方遥か飯盛山方面。手前右の鳥居は鶴ヶ城稲荷神社、左の楼館は北出丸の武徳殿。 |
天守から南方へ張り出した長屋とその先に表門を経て干飯櫓。 |
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御宿東鳳に投宿。カレッジソングで打ち上げた宴はカラオケ大会へと移行。【YEさん撮影・謝】 |