昨年暮れの例会で「忘年会どうする?」と言う話から、「やめて新年会にしよう」「場所は?」というところで藤原教授から大変においしい話が降って湧いたように出、一同そのおいしさにつられて衆議一決。気が付いたらもう2月なのだが、普段なかなか出席できないOK君も「OK」とばかり参加して、現在不具合で参集できないMH、SK、SHの3君以外15名全員2月4日13時OCATに集まった。張り切りすぎて2時間も前に到着し、腹拵えに張り切り過ぎたあまり調子を崩した人もいたとか居なかったとか。 |
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JR難波駅。かつては湊町駅として関西本線の始発駅だった。確か地上駅だったがいまや地下駅に変貌。上の建物が関西空港発着基地・大阪シティエアターミナル(略称OCAT)となっている。58年前東京某国立受験のためここ(古い湊町駅)から夜行急行「大和」に乗ったなア。 |
バスはOCATを出て湾岸線から阪和道をひた走り、途中紀ノ川サービスエリア休憩だけで白浜まで約2時間半。南部ではそれまでのミカン畑が一変し梅林が展開。京阪神では見られなかった梅の花がほぼ満開。 |
上記右写真でもおわかりのように終日低い雲が垂れ込め、内の熱気とは裏腹に鬱陶しいことこの上なし。コガノイベイホテル到着後夕食まで「ちょっと観光」とはならず、温泉に浸かって宴の時間を待つあたり、どう見ても何とか幸齢者グループやなア。 新年会の宴は近況報告と茶々入れの応酬でなかなか進まず、気が付いたらもう一つの楽しみ・カラオケのタイムリミットが迫っており、喉自慢連は大慌て。半時間を切れ込むとキビシイ。その後は藤原教授の部屋で足りない駄弁りに一頻り興じて夜は更けていった。 |
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明けて2月5日。ホテルの部屋から田辺湾と田辺市街を北望する。湾はほぼ西(左)を向いている。 |
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1時間余経つとお日様の威力は絶大なるかな。万物に鮮やかな色彩を与え給う。 正面のヨーロッパ古城風の建物はこれも由緒あるホテル川久。 |
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朝食後ロビーで通りかかる出発客対象?で3曲披露。 (YEさん撮影)これが今回のメイン行事。かな? |
ホテル玄関で記念撮影。(YEさん撮影) |
そんなこんなしている中で、高森・YY・YEの3君が残ってミニ観光をというニュースを聞きつけ、同行を申し出る。ということで直帰する11名にロビーで別れを告げてバス停まで降り、路線バスで三段壁に向かう。そこから千畳敷、そして白良浜と下り基調で歩いて、帰阪するバスを拾おうという算段。 |
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バスのまどから白浜のシンボル・円月島。 |
そして三段壁。何十年ぶりなんだろう。小学校の日帰り修学旅行が初めてだった。 |
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三段壁のメインクリフが右上とすればこれはその対岸。 onmouse-up 釣人がそこここに居た。 |
昔こんなん無かっよナ。「三段壁洞窟」へのエレベーター。大枚1,200円(券面は1,100円!)を投じ、36m下(ビルにして12階分)の海面近くまで降りる。 |
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洞窟の入口から外海は比較的波も穏やかなのに、 |
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洞窟内へなだれ込む波の勢いの凄まじいこと。右は“潮吹き岩”(中央)を写したつもりだが、潮吹きは写っていない。 源平合戦のころ隠然たる力をもっていた熊野水軍の舟隠し場所だったとの伝承が残る。 |
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洞窟入口に聳える巌塊のあちこちの出っ張りにすべて名前が付いていた。全部忘れた。 |
洞窟中央に祀られている弁天さん「牟婁大辨才天」 |
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そして海岸沿いに歩き千畳敷へ向かう。EVの係員は「車道を行ききなさい」とのことだったが、何々海岸沿いで大丈夫でした。 |
千畳敷。 このころから風が強くなり、海面も白波が目立つ。高森さんと帽子着用のYEさん以外は結構涼しい思いをした。 |
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あちこちに落書きの彫り込みが目立つが、彫り込み出来るということは波風で削られ易いということでもある。それにしても最近は“相合傘マーク”が少ない。 |
やや早めだったが、眺望絶佳のレストランで海鮮丼のお昼。半分食べてから“アッ、写真”と気付き、残った具を並べ戻して(笑)撮ったのがこれ。 |
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そして車道沿いに一路白良浜へ。雲がだいぶん厚くなってきた。 |
防潮林にはこの標識『地震!津波!すぐ高い所へ避難/ここは海抜4.8mです』 |
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ちょっと薬師堂の縁側の下が不細工だったか。。。ここは奈良薬師寺の五重塔を模して作られたお堂だとか。 |
バスセンター近くでお茶をして14時半のバスに乗車。南部まで一般道でそこから昨日の逆コース、そして大阪駅バスターミナルに18時過ぎ無事到着してこのオプショナルも終了。高森さんをはじめとするお三方、割り込みを快く受け入れていただき有難う。楽しい一日でした。そしてYEさん、写真の使用快諾戴き謝々。 |
今日の総歩数 (不明)  ̄|△| ̄ ルートマップは省略 |