“我々は後期齢者”−その1−  2012年5月24日

♣ Glee34会 “瀬戸内海岸を巡る旅1” ♣

        

昨年夏浜松に集合した我々同志社グリーS34年会。「鞆の浦のあの旅館を再訪しよう」の声を受けて高森兄が計画をたててくれた。東京にも声を掛けて総勢14名が1泊2日の旅に繰り出す。“演奏旅行”という声もないわけではなかったが、そんな恐ろしいことを・・・。結局は1956年春、1958年春の2回にわたって訪れた福山・鞆の浦・尾道を “Sentimental Journey”よろしく再訪することになった。如何相成りましたか、まずは見てのお楽しみ。です。

1956年
  3月24日13:30井原演奏会(高屋中学校講堂)/6:30福山演奏会(福山市公会堂)/鞆の浦對山館泊
  3月25日昼夜・広島演奏会(広島市公会堂)
 1957年は山陰から広島というコースだったため、福山・尾道では演奏会が無かった
 1958年
  3月13日6:30福山演奏会(福山市公会堂)/鞆の浦對山館泊
  3月14日昼・千光寺観光/6:30尾道演奏会(久保小学校講堂
  3月15日6:30防府演奏会(防府高校大講堂)・・広島演奏会は九州からの帰途。

福山駅前広場に建つ平櫛田中の五浦釣人像。今回の旅行に全く関係ありません。

福山駅北口から福山城址を望む。左(東南隅)に月見櫓、右(北)に天守閣。撮影位置は内堀跡。

そろって“登城”。

二の丸南西隅に伏見城から移築された伏見櫓。重文。高森兄の説明に熱がこもる。

すぐその上、東側の筋鉄すじがね御門。これも伏見城から移築されたと伝える(重文)。

本丸から天守閣(福山城博物館)を望む。戦災で焼失し、1966年復興(復元ではない)された。

天守からの南望。本丸広場の向こうは福山駅。山影は熊ヶ峰、彦山(共に430m余)で、鞆の浦はその向こう。隔たること約15km。

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やってきました鞆の浦。530円のバスの旅終点。港の向こうに常夜燈(古い灯台)が見える。onmouse-up

町屋を縫って走る細い道のあちこちに「保命酒」なる薬酒を造る蔵元が点在。

杉玉。ウィーン郊外のホイリゲでは赤松の枝をぶら下げるのを思い出した。この杉玉は最近更新されていないのか煤けています。

鞆の浦のシンボル・常夜橙。1859年(龍馬のいろは丸沈没の8年前)に造られたという。高さ10mの石造り。

鞆の浦の沖で紀州藩の舟と衝突沈没したいろは丸の展示館。皆さんビデオ映像を見るのに一所懸命でした。

隣の商家・桝屋清右衛門宅に現存する龍馬隠れ部屋がこの二階に再現されている。龍馬の“気”に押されたかピンボケ。

そして鞆の浦の目玉スポットへ。海岸山福禅寺。この寺の別室が対潮楼。

渡船乗場から見上げた対潮楼。その向こうが福禅寺本堂。

対潮楼から弁天島・仙酔島を見るとまさに一幅の絵画。江戸時代ここに泊った朝鮮通信使が「日東第一形勝」と讃えたのもむべなるかな。お堂のあるのが弁天島、背後の大きいのが仙酔島。別の島となかなか気がつかない。 画面クリックで上部壁面がはっきり見えます

昭和14年(1939)4月20日発行の切手「大山・瀬戸内海国立公園」4種のうちの一「仙酔島」

渡船「平成いろは丸」で仙酔島に渡る。竜馬の「いろは丸」は全長54m。これは22m。

渡船から弁天島を望む。通常立ち入りは出来ない(んだって)。ウン、こうやって見ると“別の”島だ。

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ここがわれらがお宿「ここから」。人生観の変わる宿。「ここ」ろと「から」だを再生させる宿。“もう変わりようがない”とか“最初から高尚な人生観など持ち合わせがない”とかいろんな独り言が出ていた。

部屋の窓から西望。向こうの山の端っこにここも名所として有名な阿伏兎あぶと観音がある。

夕食までの間、当館名物の江戸風呂コースを楽しむ。Tシャツ・短パン着用の混浴で、釜風呂(海藻)からはじまり、胎内風呂(塩風呂)→釜風呂(枇杷)→胎内風呂→海水(海に浸かる)→胎内風呂→釜風呂(蓬)→胎内風呂→大浴場で完成。海水を使った胎内風呂が結構なものだった。

待望の夕食。海の幸の数々を残らずカメラに収めようと思っていたのに、山盛りの鯛の刺身はあらかた無くなってから気がついた。結果は見るも無惨(笑)。小振りの鮑、屋外で蒸篭蒸しの蝦蛄しゃこ。あとはアルコールの回りが手伝って何が出たのか定かでない。

宴たけなわで和太鼓が入り、次いで獅子舞。黒獅子が一人ずつ頭を噛んでゆく。噛んで貰ったら頭がよくなると幼い頃よく言われたものが、この齢になってもう効き目も無かろうテ。藤原兄はもともと良いからエエけどな。・・・・・・・ところでこれから1年後乃公が丸禿になる(涙)。この獅子に持って行かれたのか?(2013暮記)

申し遅れたが、当館にはカラオケが無い。TVもない(ロビーに書籍があるだけ)。自販機などクスリにしたくもない。離れ島なのでお店がない、という将に吉幾三の世界。てなことで必然的にお話会に移行した。得てしてこれだけの人数ではいくつかのグループで別話題になるのが常だが、そこが我等34会のいいところ、IK兄、藤原兄を中心にした一極集中(笑・二極ではないのだ)お話会となった。ようこれだけ話題があったものです。23時半、名残は尽きねどお開き。

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