服部川から荒本へ  2012年2月21日

♣ 独 行 “古の河内潟の名残を訪ねて” ♣


今日は浄安寺椿訪問の日と違って一日中どんより。幸い雨は降らなかったものの、いっとき道を失い(持っていった地図はどうなった?)90度西へ振れるという大失態をやらかした。陽が照っていれば迷わなかったというのは引かれ者の小唄か。目的は八尾市内の式内社二社落穂拾いと東大阪市内の半分を歩き、あと1回で大和川以北をクリアしようというもの。詳細は→こちらに譲り、ここでは道行きこぼれ話と、書きもらしたことを中心に。写真は撮った枚数が少ないことから若干の重複は蒙御免。


コース : 近鉄信貴山線服部川駅→御祖神社跡→鴨神社跡→三十八神社→津原神社→(近鉄奈良線河内花園駅)→仲村神社→近鉄東大阪線荒本駅



近鉄服部川駅から道なりに真北へ。程なく大窪地区の第二会館につきあたる。ここは公園。東北隅に「式内御祖神社」の碑。西北隅にだんじり倉庫。南隅にはおかげ燈籠。石造物がいくつか放置されていて廃寺ならぬ“廃社”をしみじみ感じる。生駒信貴連山からの緩やかな斜面に位置し、北側には溜池がいくつもならぶ。



蔵を模した立派な八尾市立歴史民俗資料館(右写真:同館サイトより借用)を経、ここ府立八尾支援学校にかかる。生徒数人と先生が歩いていたのでちょっとご挨拶。

東高野街道を越え外環状線をまたいで次を目指す。

Sample

何やモノゴッツイ重機置場をバックにここ鴨神社跡地はある。これでは前回見つけられなかったのも無理はない。onmouse-航空写真。北・重機置場側の茶色のスペースが池のようだ。池と神社。今回のテーマ。

鴨神社跡をあとにし、市民プール・環境局八尾工場等々いろんな大きな建物群を縫って歩く。あちこちに細い流路があってすべて西方ないしは北方へ流れる。


無ッ茶広いみどり清朋高を過ぎて福万寺集落に見つけた三十八みそや神社。これは拝殿(式内社ではない)。ちなみにこのご町内には福万寺なるお寺が見当たらない。あったのは『満福寺』(笑)。それにしても、この福万寺集落って立派な家が多い。

福万寺集落から何もない集落の中を北上する道が一種独特の雰囲気をもつ。と、いいながら道を間違えて15号線の延長上を歩いたものだから、かの「玉串神社」の額がかかった津原神社参道上の一の鳥居(→こちら)を見ることが出来なかった。
 その600mの参道のドン突きが津原神社。もっとも参道といっても今残るのは一の鳥居とご本社社前まで一直線に伸びた道路のみ。風情はカケラほども残っていない。


この神社本殿の裏に残る「津原の池」。鳥居が建ち、大切にされている様子が窺える。池の反対側に立つ大木も小さな鳥居があり、ひょっとしてこの池=水信仰がこのお社信仰の端緒ではなかったか、と、そう思わせられたことであった。

すぐ北が近鉄奈良線の河内花園駅。いま高架工事の真っ最中で、奈良方面行きホームがほぼ完成していた。上本町方面行きが完成すれば踏切がなくなる理屈だ。
 ここの踏切を越えて、さあここから本日の一大イヴェント、90度誤認行程のはじまり。東花園郵便局までは順調だった。その後、ほぼ北上して河内警察署あたりに出る予定が、気が付いたら近畿自動車教習所(涙)。
 幸いなことにこのロスが致命的でなかったこと。地図上で見る限り多めに見積もっても数百mのロスで済んだようだ。でも津原神社といい此処といい必ず西へ振れてしまうのは何でだろう?


そして仲村神社。ここにも「菱沢の池」なる池が“祀”られている。かつて火災で社殿すべて烏有に帰し、その後この水辺に榊木が生えたのを吉祥として再建された。菱沢池はその水辺の名残だという。いまやすっかり涸れてしまい、伝えられる面影はまったくない。生駒山地と大坂上町台地の間に広がっていたであろう、かつての伝・河内潟の衰退と軌を一にしているのかもしれない。


ここから北西に斜行し、春日神社を横目に見、ガストで遅昼をしたため、近鉄東大阪線荒本駅で9km余のウォーキング終了。どんよりとした日和は変わらずだったが、降らなかったことでよしとしよう。    ルートマップはこちら