♣ 独 行 “久御山の式内社と浄安寺椿” ♣
数日前の新聞に「久御山の浄安寺で 2月15日から 2ヵ月間椿展が開かれる」と出た。それを見てネットで調べたら何と、すでにどなたかが写真入のブログを書いておられる。そこで本堂内に飾られた椿の数々を拝見し、住職夫人のお顔も十二分に確認した上で、近隣の式内社4社(式内社の詳細は→こちらに譲る)を組み込んでルートをつくり、今日の実施とは相成った。 |
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★式内社4社について詳しくは→こちら。 |
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近鉄京都線大久保駅に程近い式内社・旦椋神社。明治10年までは栗隈天神社といわれていた。 |
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次いで式内・雙栗神社社頭の「御厨池旧跡」碑。ここも明治15年までは椏本八幡宮とよばれていた。 |
雙栗社背後の大楠。樹高30m、根元回り9.8m、樹齢4〜500年で久御山町指定天然記念物。 |
そして浄安寺到着。出迎えてくれたのは“笑顔椿”か? この寺には無慮250種もの椿があろうとは♪お釈迦様でも気が付く・・・ご存知か。 |
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浄安寺正面。ここは浄土宗のお寺。左の古い石碑は「観世音尊像 浄安寺」。観音堂に安置された聖観音立像のことらしい。 |
本堂。このなかに十数種の椿が展示されている。いくつかをご紹介に及ぼう。撮影技術の拙劣さはご勘弁を。いずれも onmouse-up |
庫裏に参上して案内を乞うべきところ、ついつい入口の掲示につられて直接本堂へ入ってしまった。すみません。住職夫人が堂内に飾られた椿は十数本。いずれもご自分で選ばれた花器に小枝を添えて飾られ、短冊に椿と小枝の名を書いて置いてある。それを端から一つ一つ、花と花器それぞれの由来をご説明いただく。実に贅沢な時間が流れていた。 |
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三叉(三椏)と笑顔椿 |
五月梅と一子侘介(侘助)椿 |
紅梅と○○椿(撮り損ね) |
紅万作と妙蓮寺椿 |
朝鮮槙と所縁ノ色椿 |
柏葉紫陽花と風鈴ノ谷椿 |
南天と呼子鳥椿 |
そけい(素馨)と宝塚椿 |
境内に出る。まだ少々季節が早いがいくつか咲いていたものを撮ってみた。これは大振りで蘂の見えないタイプ。ピンクの斑がなければ幼時祖父が大事にしていた椿にそっくり。 |
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これは一子侘介のようだが? |
これも笑顔椿か? |
ということで後ろ髪を引かれる思いで寺を後にした。1ヵ月先では花は相当咲いているものと思うが、住職夫人の「昨日は3人見えました。今日はおたくがはじめて」というお話で、却ってやや寂しげながら“もうすぐ咲くよ”という期待のふくらむ今来てよかった。加えてお手製の「浄安寺の椿名」という248種もの名前を記した刷り物を頂戴し、お茶の接待に預かり、四方山話に付き合っていただいて今日のメインイヴェントは心温まるものになった。記して感謝である。 |
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第二京阪の巨大な陸橋を越え、ややあって左へそれると下津屋。スイセン満開。かつて流れ橋を訪うたとき「上津屋」という地名が川の両岸にあったっけ。 |
南方、木津川堤防に沿った杜がある。農作業中の方に伺うと「お宮サンや」。ソレッ一路邁進。ここは式内・室城神社。参拝ののち堤防に駆け上がって神社を俯瞰。 |
そして木津川堤防から北西方向を望む。京阪国道(国道一号)の橋梁の向こう、真ん中のやや黒い丘陵は男山(143m)。言わずと知れた石清水八幡宮が鎮座する。その右に中途半端に高いのが天王山山塊(最高所304m)。背後にポンポン山(678m)。 |
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今日最後の(と考えていた)荒見神社へ向かう。途中で堤防を下り農道をゆく。ビニールハウス脇に満開だった蝋梅。コントラスト最高ッ。 |
途中で遅昼をしたためてから再出発。荒見集落内で見かけたマンサクの花。デジカメでマクロ撮影は難しい。カメラがバックの椿に気をとられたか。 |
そして式内・荒見神社。素朴な村の鎮守さんという佇まいがいい。祠の脇にビナンカズラ(サネカズラ)が赤い実をつけていたのが印象的。(同定作業は楽友かつハイ友のMCさんのお世話になった。記して感謝) |
社頭にあった歌碑♪巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし♪ 柿本人麻呂(万葉集巻9-1699 雑歌) |
あとは久御山町役場前からバスで京阪淀駅経由で帰宅するだけ。ちょうど役場100m手前でバスが来たので小走りで乗り込む。終点でふと見ると、京阪の高架の向こうに木立ちが見える。そうだ、ここには淀城址がある。まてよ、「與杼」って名前も聞いたことがあるな。これってひょっとして式内社? |
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式内・與杼神社の勧請吊。これは思うに二の鳥居の代役か。(與杼神社について詳しくは→こちら) |
本殿脇の「淀屋寄進の高燈籠」。大阪淀屋橋に名を残す豪商“淀屋”は、一時は幕府を凌ぐほどの財をなしたと伝えられる。 |
そして淀城址。地元のおじさんにつかまって説明拝聴「あの石垣角上の大木の根っこに石の盥が巻き込まれている。すぐそばの井戸から水を汲み上げてお姫様がこれで顔を洗った」。「僕はお濠で幼時よく泳いだが母親が底を足で探れ、なにか引っかかったら引き揚げェ。小判が・・・」事ほど左様に黄金伝説が伝わっていたという。 |
石垣の石には多くの大名が運んだ痕跡がある。「これは丸に十の字。言わずと知れた薩摩・島津藩や」「内側の石垣、石が全部新しいヤロ。あれは積み直したンヤ。小判探しに目立たない個所の石垣がすべて壊された」・・『オッチャン、齢幾つ?』「僕か?七十五」一緒や、イッショヤ。・・・あ、聞き忘れた、彼は小判を拾えたのだろうか? |
小判探し伝説を教えてくれたオッチャンが自転車で立ち去ったあと、ようやく京阪電車淀駅へ。まあ駅舎がキレイになったこと。高架駅ホームから淀の京都競馬場を望む。 |
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今日の総歩行距離 約7km  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |