紅葉に彩られた古寺と疏水  2011年12月10日

♣ AZハイキング第127回例会“南禅寺から哲学の道散策” ♣

“南禅寺から哲学の道散策”というタイトルで忘年会までの時間を散策したのだが、よくよく考えれば疏水沿いに歩いたのだということ。曰く、「ねじりまんぽ」はインクラインをくぐるトンネル。「水路閣」は疏水の第二分線が南禅寺境内を通る水道橋。哲学の道はその下流。白川は本流からの放水路。1890年に第一疏水が完成したとき大部分が完成し、水道・発電・水運に利用されるという、京都の歴史そのものである。
 思えば大津の取水口から小関を越えて山科へと歩いた第68回例会、桜の山科疏水沿いを歩いた第26回例会、全部繋がっている。それにしても古都の紅葉の終焉は味わい深いものであった。

ねじりまんぽは地下鉄蹴上駅よりすぐ。南口には当時の京都府知事・北垣国道氏が揮毫した「雄観奇想」が掲げられている。なお「まんぽ」というのは鉱山の坑道などトンネル構造を指す古い言葉。「まんぷ」「まぶ」とも呼ばれ、「間歩」などの漢字が充てられる。という。

同様に北口には(消えかかっているが)「陽気發處」と記されている。額はいずれも粟田焼だそうだ。

鶴亀の庭で有名な金地院こんちいんは南禅寺の塔頭の一。これは院内東照宮への楼門。

「絶景かな」伝説の山門。紅葉もさびしげ。

一面に散り敷く紅葉落ち葉。

南禅寺法堂前の紅葉。

南禅寺の一点景・水路閣。建設時には反対論もあったやに聞くが、今や南禅寺と言えば三門と並んでこれが有名になってしまった。右はこれも有名な水路の下。アーチ形の繰返しが面白いとここでの記念写真撮影が引きもきらず。

水路閣は単なる歴史的遺構ではない。こうやって疏水の分流が滔々と流れている現役水路。この先トンネルを抜け、別ルートの流路と合流して若王子に出、哲学の道沿いを流れる。

永観堂紅葉@

永観堂紅葉A

永観堂紅葉B

永観堂紅葉C
永観堂のサイトによれば、聖衆来迎山しょうじゅらいごうさん無量寿院むりょうじゅいん禅林寺ぜんりんじが正式名称だが、第七世法主永観律師にちなみ永観堂と通称される。とある。

哲学の道沿いの紅葉の名所・宗諄そうじゅん女王墓。

少し上がってダム女に隣接する大豊神社前で休憩。茶処二三麿のみたらし団子。美味しかったよ。

大豊神社末社の大黒社。狛犬ならぬ狛鼠こまねずみが有名。乃公の干支なので一度ご対面をと駆け上がってみた。

はじめてご対面の叶った、これは阿吽でいえば「阿形」の狛鼠。もう一体は確かに「吽形」だった。当社には他に狛猿や狛鳶がある。

Sample

対岸を歩くといろんなものが見えてくる。目にも鮮やかな紅葉。

これも対岸にあった。慎ましく?下を向いていた三椏みつまたの蕾。onmouse-up

そして法然院。このあたりで雲が厚く、雨粒が、、、という噂もあった。

山門で記念写真。この寺の山号は獅子ヶ谷ししがたに。地名の鹿ケ谷ししがたにはここからきたか?

さあ時間がなくなった。岡崎・白川を目指して速歩が続く。平安神宮など目もくれず。富山御大は麗人が随行してゴールへ直行。

大鳥居脇から疏水分流に沿って南下。「知恩院古門」から「華頂道かちょうみち」の東方遥かに知恩院が。

辰巳大明神のそばを通って・・・

吉井勇の歌碑♪かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる♪・・・も約数名以外はみごとにスルーしてしまった。

何とか間に合いました。ここは がんこ二条苑の庭園。これを眺めながら、謡曲・軍歌などいろんなものが飛び交い、色々あった今年の締めくくりとなった。

♪富山御大、来年もそのお喋りで皆を元気付け、盛り上げてください。あなたは我々の希望の星なのですから。

今日の総歩数 21,733歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略

応接室にK大人ご来駕
 

行程と参加者

 

南禅寺三門

 

哲学の道

 

法然院

 

がんこ二条苑〔忘年会〕

 

(同左)