♣ うりぼう会ハイキング“唐櫃越” ♣
学生時代ハイキングはまず山中越だった。そのころ本能寺の変ゆかりの明智越や唐櫃越って全く知らなかった。人並みに歩くことを始めてから小関越とかいろいろな情報は入ってくるものの、なかなか歩く機会に恵まれなかった。 |
|
総勢16名プラス約1名、都合17名が上桂駅集結。身繕いののち9時半過ぎ出発し、浄住寺と地蔵院の境辺りから山道に入る。 |
まず竹林が一同を出迎えてくれる。何処もご同様だが手入れされた竹林を見ることは昨今難しくなった。 |
やがて急坂の途中に墓地。六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道)の巷に立ち、縁なき衆生をも救うという六地蔵がここにも祭られている。この一角をお借りして準備体操。 |
|
途中にあった「丁塚」。大きな看板だが由来など何の説明もない。一里塚や町石などを連想するが、ここは参詣道や街道ではないので、??である。北へ苔寺への道を分ける。 |
♪この木 何の木 気になる木〜。 枯木でないのに葉っぱがない。 |
桂坂野鳥園散策路入口。あとでわかったのだが、後記の大枝の住宅団地の北縁・配水場付近まで含めて野鳥園の遊歩道となっている。今思うと、野鳥園という割に鳥の声があまり聞こえなかったなァ。 |
|
ややあって京都南部を展望できるスポットに出る。目の下には大枝の住宅団地。老ノ坂近くまで広がる。すぐ南にNTT無線中継所のある大枝山があり、ここの峠は、昔は「大江坂(おおえのさか)」と呼ばれ、それが変化して老ノ坂(老ノ坂峠)と呼ばれるようになったという。 |
|
やがて急坂。どうやらこの登りの目標は今日のメインピークらしい。 |
着いた。。。沓掛山(415m)三角点標柱に手をかける乃公。 |
上記三角点での写真、顔が斑になってしまったのは、一にかかってこの茂みのせい。でもそれを透かして見える空の青さ。何物にも代え難い。 |
|
欲も得もなく無言でファミマ弁当にかぶりつく。もうすぐ後期▲※者だというのにこういう時はメシがシッカリ入って行く。そうだ、差し入れて下さった柿と林檎ご馳走様でした。 |
木の間隠れに北方・愛宕山(924m)を望む。なにを考えていたのか、露出補正をかけた結果アンダーになってしまった。もっとキレイだったのにな。 |
腹がくちくなったところで午後の部スタート。しばらくゆくと舗装した林道。さしたる材木もなさそうな山中に、ナンデ? |
・・という疑問はここで解消。右に拡がる空き地はダンプの駐車場。山陰線新線トンネル掘削のときの残土をこの山中に処分したときのものだという。舗装道はここまで。 |
♪しんしんと 青みゆく空 花すすき 浜田はるみ |
|
サルトリイバラ |
★ |
愛宕山の勇姿。標高924m。 |
|
というところで、林道終点から山道へ。 |
最後のピーク、本日の最高点・みすぎ山頂上(430m)。 |
ご満悦のピークハンター (ピンクパンサーではない) |
|
遥か下に保津峡。かすかに嵯峨野観光鉄道(旧山陰線)の線路が見える、と思っていたら、これは道路でした。ここでは川の手前側に線路があるのです。>>ひとこと>>間違ってもこちらに降りてはいけません。◆※が■※したように一泊二日コースになります。 |
そして本日のメインイヴェント! 「左上桂、右馬堀」の真ッサラの標識。皆さんのお話を総合すると、これがなかったために◆※が■※したと。その結果この標識が出来たので誕生後まだ旬日を経てなかろう、と。尤もそのお蔭で今日無事ルート完歩が叶ったので、何はともあれ感謝。 |
思い出すのも嫌になるくらい凄い谷道下り。流石メンバー諸氏は平気にこなしておられた。写真は麓近くの石垣。このあたりまで手にはカメラでなくストック(涙)のみ。 |
かくて下界に出てきたところが宝泉寺。このログハウス風の建物も「※堂」と書いてあったのでお寺の一角のようだった。因みにこの山裾には僅々300mの間に常福寺、宝泉寺、如意寺と3つのお寺が櫛比する。 |
宝泉寺門前の山本集落から遠方に亀岡市街。馬堀駅は高いマンションのそばだった。 |
かくして辿りついたJR馬堀駅ホーム。(うまく撮れませんでしたのでBokuha Kazeさんサイトから借用しました。謝々) |
乃公にとっては久し振りの山歩き。二日後の今日まだ脹脛や太腿がパンパンである。幸いなことに腰はどうもないが、足は正直。メンバーの女性の方に言われた「私ら毎週歩いてますから」がズシンと応えた。まさに継続は力なり。乃公の足パンパンは単にその女性の方より齢食ってるからではないということ。それを今日のハイキングで厳しく教えて貰ったような気がする。記して感謝である。 |
|
今日の総歩数 23,813歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |