浜松城天守にカレソン響く  2011年7月10日〜11日

♣ グリー34会浜名湖集合 ♣

この8月7日東西四大学OB合唱団がいわゆる“OB四連”を開く。そのため9日から10日にかけて東西のクローバークラブが集まってここ浜松で合宿練習を行った。欲張りなのが中に居て(笑:どうも乃公の同期だったらしい)、それだけで帰るのは勿体ないから、クローバーに出ていないものも集まって、引き続き同期会をやろうや、と。
 さあそれからが大変。われらが城郭大臣・高森君が事前事後の綿密な予定を組んでくれた。曰く、10日は関西メンバーだけになるが、岡崎を中心としたお城巡りののち夕刻浜松入りして合流。11日は全員で浜名湖周辺の史跡めぐり。クソ暑いからと総幹事のO友君が交渉してホテルのマイクロバスをチャーター出来、すべてそれに乗っかって今回は動くことになった。折りしも梅雨明け。途端に連日の真夏日。まあ暑かったですナ。

7月10日

浜名湖ロイヤルホテル12階から西望。落日の浜名湖大橋。

懇親会本番後、即、カラオケにならないところが吾等34会の自慢。4-2-6-5のバランスで希望の島、多田武彦編小学唱歌抜粋(夏は来ぬ、秋、仰げば尊し)、夏の思い出、女ひとり、君の故郷は、丘の上に十字架立つ、そして今回のため特に?用意されたフランク永井の“おまえに”。最後にHail Our Glee Club とカレソンで締める。

7月11日

朝日の浜名湖大橋。

♪ 所用で帰京するM君=かつての“本邦合唱界最高峰”=を囲んでホテル前で記念写真。♪ (画面の歪みはクリックで修正してご覧下さい。写真提供=Yアさん。)

9時出発。まず旧東海道は新居あらいの関所。生憎今日は休館日で外からの見学となった。往時は舞阪からの船が関所の傍に着岸したという。

やや西に位置する旅籠紀伊国屋。紀州徳川家の御用宿であったという。(前を通るのは当然国道1号線・・・と思いきや国道301号線だった。今の1号線はは新居町駅すぐ西で南に分岐している)

禅宗の寺・舘山寺。裏山は標高50mの舘山たてやまだが、温泉旅館のある辺りは砂州で、俯瞰すると陸繋島であることがありあり。

中国江蘇省・寒山寺との友好関係を記念した碑が境内にあり、張継の「楓橋夜泊」が刻まれている。♪月落烏啼霜満天/江楓漁火対愁眠/姑蘇城外寒山寺/夜半鐘声到客船♪

舘山の西ピークにたつ聖観音立像。ここから右回りに遊歩道を歩いたが、無風では椎の木の下道も蒸し暑く汗グショになった。

そして「かんざんじロープウェイ」までの道の暑かったこと。途中自販機がなく、アラコキが群れをなしてコンビニで清涼飲料水を求めるという滅多に見られない風景が現出した。

ロープウェイから眼下に舘山寺を望む。

大草山展望台から@東北・気賀方面望見。

同じくA西北猪鼻湖(別名奥浜名湖)方面を望む。右の建物はこのあと鰻の昼食をしたためた浜名湖かんざんじ荘(もと国民宿舎)。

同じくB内浦の遥か彼方には今切と呼ばれる浜名湖=太平洋の水路、そして浜名大橋などが微かに見えた。

昼食後、相変わらずギラギラ照りつける陽射しのもと、東海道三大関所の一つといわれる気賀きが関所に立ち寄る。箱根・新居とあわせて「三大」というそうだが、ここは東海道の脇街道。太陽は真上で影が殆ど無い。

姫街道の別名が示すように女性の出入りの検査も厳しかったというが、メンバーはその検査の展示に興味津々。なになに、皆さん口だけかも知れないがお元気です。

龍潭寺りょうたんじ。彦根にもあるこの寺は井伊家の菩提寺で当地が井伊家の本貫地だという。

山門。木陰のささやかな涼しさを求めてそそくさと参詣。

山門の内側に咲いていたハス。

小堀遠州作と伝える龍潭寺庭園。庭師さんが作業に入っていて写角から外すのに苦労した。

浜松城天守閣。なんとここで同志社出身のボランティアガイドの方と遭遇。話が弾んで最上階で是非カレッジソングを歌ってくれという。それではご一緒にということで、浜松城一杯にカレソンが響き渡ることになった。ついでといっては何だが、大学歌もサービス。こんな機会はそうザラにあるものではない。感激の一齣であった。

♪ カレソンを歌ったのは天守に登楼した10人+ガイド氏。何と、なんと10人のうちバリトンが6人居るではないか!♪ (画面の歪みはクリックで修正してご覧下さい。写真提供=これもYアさん、謝々。)

天守から南方・浜松駅前のアクトシティを望む。右手前は浜松市役所。

同じく北方・三方ヶ原の戦いで有名な三方ヶ原方面。家康の歴史的大惨敗かつ唯一の敗戦として有名な戦という。

このあと駅前の楽器博物館で膨大な世界の楽器コレクションを観覧。お土産探しの後、東西とも16時台の新幹線で帰途に着く。総幹事のO友さん、34会城郭担当相高森さん、ほか皆さんありがとう。お世話になりました。