【志紀郡・志紀長吉神社】志紀長吉神社二の鳥居。お社を探していて一の鳥居と二の鳥居の間に出てしまい、戻るのが億劫で前者は割愛。参道は凡そ300mほどはあろうか。長く立派。(2012.2 GoogleMapより借用して一の鳥居をclick-追加)
本殿
志紀長吉神社拝殿。 「志紀長吉(しきなかよし)神社二座 〔延喜式〕云、大。月並新嘗。(中略)長原村にあり。日蔭明神と称す。大嘗会の御時、日蔭蔓を貢奉る故に名とす。其蔓、神庫に収て、上貢に非ざるよりは、神人といへども、漫に見る事を得ず。又、社司の家に、長久永承年中の神祇官符を蔵む。当社郡内、〔延喜式〕と相違ふ。古老伝云、此地、旧名長吉。後世分ツてニツとなす。各々、一字を冒す。西を吉富といひ、東を長原といふ。倶に三郡の界に居し、志紀に属し、渋川に入り、本郡丹北に入也。(河内名所圖會/冒頭に“丹北は丹比の訛ならん”とある)」 このお社はこの写真でも自明のとおり真田幸村一色である。
【東生郡・比賣許曾神社(高津宮境内坐地主神)】比賣許曾神社全容。
傍らの説明板。これによると、この比賣許曾神社こそが高津宮が鎮まるこの地の地主なのだという。
ここは比賣許曾神社論社の一。先月訪れた小橋坐のお社が“本物”と思うが、これも歴史である。攝津名所圖會によれば、「高津社(かうづのやしろ) 西高津にあり。例祭六月十八日、秋祭九月十八日。祭神仁徳天皇 但往古は下照姫命を祭れり。〔延喜式〕に、比賣許曾神社、名神大、月次、相嘗・新嘗、貞観元年正月、授従四位下といふ是なり。後に仁徳天皇を配祠せしより、下照姫の名はかくれ 仁徳天皇のみ稱し奉つる。(後略)」 とある。
高津宮一の鳥居。道路が左下がりなので、おかしな感じの写真になってしまった。
地主神とは言い条、比賣許曾神社を載せて実質上の家主さんを載せない訳には行かないだろう。これは高津宮の拝殿。
高津公園にて