旧茨田郡の式内社巡り  2011年2月16日

♣ 独 行“津嶋部社・堤根社・高瀬社” ♣


茨田郡・津嶋部神社津嶋部つしまべ神社拝殿。広い境内。


同本殿。当社は京阪大和田駅北方、同寝屋川駅西方、モノレール/地下鉄大日駅東北いずれも2km余の位置にある。京阪寝屋川・守口からの京阪バスでアプローチするのが楽か。


府道15号線に面するお社は東向きである。津島部(つしまべ)神社 鍫靭。〔延喜式〕出。金田村にあり。嘉祥三年十一月、従五位下を授く。当村と対馬江村と共に生土神とす。(河内名所圖會)」


境内にある謎の石組み。おそらくは磐境の名残か。何の説明表示もない。


手水舎の水槽に刻まれた「延寶六戊午年十二月/河州大久保庄金田村/大宮天神御寶(前)/金龍禅寺/扶宗(??)」の文字が、かつて神宮寺の一で今尚隣接する禅寺・金竜寺との往時の密接な関係が窺える。ちなみに延寶六年は1678年。(これも説明なし)


茨田郡・堤根神社堤根つつみね神社一の鳥居から二の鳥居を経て拝殿を望む。


本殿。ちなみに当社へはかつて「万葉を歩く」講座で訪れた。( →ここ


当社は京阪大和田駅東北200mに位置する。堤根(つゝみねの)神社 常称寺村にあり。〔延喜式〕出。今、天満宮と称す。此辺、常称寺村、野口村、横地村、打越村、北嶋村等の生土神とす。例祭、九月十五日。傍に神宮寺あり。ここも常称寺といふ。(河内名所圖會)」 いま常称寺という寺は近郷に見当らない。堤根神社は門真市内にもう一社 「論社」 がある。


堤根神社本殿裏に残る茨田堤跡。 茨田故堤(まつたのふるつゝみ) 池田村より、太間、伊加賀に至って、故堤、僅に残れり。〔日本紀〕云、仁徳天皇十一年、茨田堤を築しめ、淀川のおほみづを防しめ給ふは、此所也。(後略)(河内名所圖會)」。碑の「伝」という添え字が歴史の風化を物語る。


茨田郡・高瀬神社高瀬たかせ神社本殿。当社は京阪土居駅東南300m弱に位置する。


神社正面。旧道に沿うがそれを無視した十字路にも挟まれて恰も“六つ辻”状の忙しない環境にある。


拝殿。境内は至極狭いがそれでも木立ちなどのおかげか、一瞬外の喧騒を忘れさせ、“夏 涼しそう”という感を抱かせる。 高瀬神社(たかせのじんじゃ) 小高瀬荘世木村の北にあり。〔延喜式〕出。今、八幡と称す。世木、馬場、両村の生土神とす。例祭、九月九日。(河内名所圖會)」


上記“六つ辻”のロータリーに建つ高瀬川の碑。 高瀬(たかせ)川 淀川の下流。小高瀬荘を遶るによって名とす。一説には、高瀬神社の前に溝渠あり、是を高瀬川といふ。(河内名所圖會)」