♣ 独 行“津嶋部社・堤根社・高瀬社” ♣
【茨田郡・津嶋部神社】津嶋部神社拝殿。広い境内。 同本殿。当社は京阪大和田駅北方、同寝屋川駅西方、モノレール/地下鉄大日駅東北いずれも2km余の位置にある。京阪寝屋川・守口からの京阪バスでアプローチするのが楽か。 府道15号線に面するお社は東向きである。「津島部(つしまべ)神社 鍫靭。〔延喜式〕出。金田村にあり。嘉祥三年十一月、従五位下を授く。当村と対馬江村と共に生土神とす。(河内名所圖會)」 境内にある謎の石組み。おそらくは磐境の名残か。何の説明表示もない。 手水舎の水槽に刻まれた「延寶六戊午年十二月/河州大久保庄金田村/大宮天神御寶(前)/金龍禅寺/扶宗(??)」の文字が、かつて神宮寺の一で今尚隣接する禅寺・金竜寺との往時の密接な関係が窺える。ちなみに延寶六年は1678年。(これも説明なし) 【茨田郡・堤根神社】堤根神社一の鳥居から二の鳥居を経て拝殿を望む。 本殿。ちなみに当社へはかつて「万葉を歩く」講座で訪れた。( →ここ ) 当社は京阪大和田駅東北200mに位置する。「堤根(つゝみねの)神社 常称寺村にあり。〔延喜式〕出。今、天満宮と称す。此辺、常称寺村、野口村、横地村、打越村、北嶋村等の生土神とす。例祭、九月十五日。傍に神宮寺あり。ここも常称寺といふ。(河内名所圖會)」 いま常称寺という寺は近郷に見当らない。堤根神社は門真市内にもう一社 「論社」 がある。 堤根神社本殿裏に残る茨田堤跡。 「茨田故堤(まつたのふるつゝみ) 池田村より、太間、伊加賀に至って、故堤、僅に残れり。〔日本紀〕云、仁徳天皇十一年、茨田堤を築しめ、淀川の澇を防しめ給ふは、此所也。(後略)(河内名所圖會)」。碑の「伝」という添え字が歴史の風化を物語る。 【茨田郡・高瀬神社】高瀬神社本殿。当社は京阪土居駅東南300m弱に位置する。 神社正面。旧道に沿うがそれを無視した十字路にも挟まれて恰も“六つ辻”状の忙しない環境にある。 拝殿。境内は至極狭いがそれでも木立ちなどのおかげか、一瞬外の喧騒を忘れさせ、“夏 涼しそう”という感を抱かせる。 「高瀬神社(たかせのじんじゃ) 小高瀬荘世木村の北にあり。〔延喜式〕出。今、八幡と称す。世木、馬場、両村の生土神とす。例祭、九月九日。(河内名所圖會)」 上記“六つ辻”のロータリーに建つ高瀬川の碑。 「高瀬(たかせ)川 淀川の下流。小高瀬荘を遶るによって名とす。一説には、高瀬神社の前に溝渠あり、是を高瀬川といふ。(河内名所圖會)」 |