♣ 独 行“北河内のお社2社” ♣
【茨田郡・意賀美神社】意賀美神社一の鳥居。このお社は枚方市駅と枚方公園駅の中間にある小高い岡に鎮座する。 二の鳥居。この岡には万年寺山古墳という古墳があった。また明治初期の廃仏毀釈でなくなった万年寺という寺もあった。 「意賀美(ゐがみ)神社 伊加賀村の山にあり。〔延喜式〕に出。此所の生土神とす。例祭、九月九日。(河内名所圖會)」 ゐがみとは名所圖會時代の呼称なのか、単に同書著者の思い込みなのか不明だが、これは現在の「おかみ」が正しいのだろう。「たかおかみ」は各所にある水の神の名前。「おかみ(もしくはおがみ)」は「龗」。ちなみにこのお社は元来ここに坐したのではなく、明治末期に合祀した須加神社の社地に遷座したということである。 本殿。この向こう(北側)には裏参道がある。 梅林。さすがにここはまだ花が見えなかった。ここは枚方八景の一「万年寺山の緑陰」。塔婆は無くなった万年寺を偲ばせる。 枚方の住宅街ではロウバイが満開。 【交野郡・片埜神社(久須々美神社を合祀)】片埜神社正面。南面する。東門があり、大阪歯科大がすぐ近く。朝原神社や瘡神社などの境外社、牧野公園、すべて広大な社地の一部であったらしい。 重文の本殿は修復中。神社はタイムカプセルを開けたような集落の中にある。 河内名所圖會にはこう記す。 「交野神社(かたのゝじんじゃ) 鍬靱。〔延喜式〕出。渚の北、坂村にあり。近邑八ヶ村の生土神なり。例祭、九月六日。式には片野神社と記す。祭神、牛頭天王。今、土人一ノ宮と称す。本地を帝釈天として、本地堂に安す。又、四天王、地蔵尊等を安す。鳥居より社まで、馬場前の松原、四丁余あり。(後略)」 「鳥居より社まで四丁」というからには「渚」は南西数百mにある穂谷川畔に相違ない。今そこに鳥居は見当らない。 |