麓は中將姫、山上は大津皇子  2010年11月14日

♣ AZハイキング第114回例会“當麻寺界隈散策” ♣

今回のハイキング写真日記は「当麻寺に残る古代東西両塔」というタイトルにすべく準備していたが、アキマヘンナァ。やはり中将姫の、そして仰ぎ見る二上山雄岳に眠る大津皇子に話題が集中し、この当初計画はあえなく潰えた。やや薄らいだとはいいながら黄砂(黄沙)の影響の残る空の下、本日の例会スタート。

当麻寺門前町の、とあるお邸の玄関先にて。

近鉄当麻寺前集合。嘗ての条里の跡を残す東西南北に走る道は当麻寺参道とて同じ。近代の産物・近鉄線は北北西から南南東へ走り、踏み切りは略60度の角度で交わっている。

駅から数十メートルのところに某メンバーご推奨の餅屋さん。集合前に賞味してきた輩もいる。包みを持って今出てきたメンバーは今日一日“傾けないように”持って歩いていた。ご苦労様。

当麻蹶速たいまのけはや伝説にあやかった旧当麻町相撲館前に當麻蹶速塚がある。

今日ずっとついてまわり、見守ってくれた二上山。この角度では雄岳がややずんぐり。

当麻寺東大門。大和名所圖會(寛政3年(1791)秋里籬島著)に曰く 當麻寺(たいまじ) 二上嶽の下、丸子山の麓にあり。二上山萬法蔵院禅林寺と號す。本堂は観世音なり。曼荼羅堂といふ勅額あり。是に新曼荼羅あり。又本堂の後の寶蔵には、中将姫眞の曼荼羅を収めたり。(後略)」

東三重塔(国宝)を背に中之坊。右は中之坊本堂。今日のメインはなんと言ってもここ中之坊の写仏道場「絵天井」特別公開拝観。一般拝観者に開放されるのは4年に一度ということだ。(絵天井は残念ながら撮影禁止)

中之坊庭園は香藕園こうぐうえんといい大和三名園の一。蔓花茄子 (つるはななす)が咲いていた。

香藕園のかえで紅葉。葉が細く珍しかった。

青畝の句碑 ♪朝ぼらけ二つの塔と牡丹かな

当麻寺西三重塔(国宝)。右は本堂(曼荼羅堂・国宝)。右端に中将姫立像。

グラウンド下の公園に大津皇子の歌碑 ♪足日木乃山之四付二妹待跡吾立所沽山之四付二♪(足引の山のしづくに妹待つと吾(あ)が立ち濡れぬ山のしづくに)

市交流館そばの大伯(大来)皇女の歌碑 ♪うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟世(いろせ)と我が見む♪

當麻山口神社の一の鳥居(左)と二の鳥居(右)。二の鳥居は傘堂のすぐ近くにある。

式内社・當麻山口神社の拝殿。 大和名所圖會に曰く 當麻山口神社(たいまやまぐちじんじゃ) 山口村にあり。〔神名帳〕に出づ。」 傘堂での昼食時に駆け足で独行、写真を撮ってきた。

當麻山口神社境内。

同神社本殿。

傘堂。一本足の特異な形状で有名。延宝2年(1674)建立。約90年後に編纂された大和名所圖會には何故か記載がない。郡奉行の個人的な追善のためという当初目的もが原因かも知れない。その後そばの溜池との関連で3地区合同で保全・維持されているという。

ふるさと公園の広場から国見の丘への石段。全部で456段あり、その標高差は約75m(115→190m)。

展望台から見下ろした石段。最初は調子がいいのだが中間あたりから手摺が恋しくなってくる。

国見の丘展望台にて。ここ数日ひどかった黄砂も薄らいで見通しはまあまあだった。

展望台の下に設置された方位盤。

Sample

国見の丘でみかけた女郎蜘蛛。上臈蜘蛛ともいうそうな。幼時よく遊んだ記憶。

二上山ふるさと公園おもちゃ館のシンボル。ラッパを吹く豚。

このあと隣接する道の駅に立ち寄り、会議室を特別にお借りして本日の反省会?を開催。すこし歩き足りなかった、というのは贅沢な悩みか。“今日の総歩数”は事後のプライベート歩きが若干含まれていることをお断りしておく。

今日の総歩数 16,506歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

応接室にK大人ご来駕
 

行程表及び参加者

 

當麻寺山門

 

ふたがみパーク當麻展望台

 

うちあげ(道の駅)

 

うちあげ2