♣ JASSハイキング“るり渓散策” ♣
“瑠璃も玻璃も照らせば光る”で知られる“瑠璃”は青い色の宝石だそうだが寡聞にして見たことがない。(♪瑠璃色の海の向こうの大空に/今日も湧き出た白い雲♪という童謡は古いかナ?)その名前を冠した「るり渓」は、剣尾山が乃公の歩きのエリアに入ってからずっと気になっていたところであった。明治時代の郡長がこの地に遊んでその素晴らしさに驚嘆し名付けたという。明治時代は文人墨客でなくても時代を背負っていた人は例外なく漢文の素養があったのだろうか。渓谷のそこここに建てられた滝、渓流、渕などの名前は振り仮名がなかったらとても読めない。今だったら散文的な名前が付けられてドッチラケになるのがオチだろう。 |
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時刻はまさに正午。空は快晴。明日が立冬というのに、能勢と京都亀岡の山奥というのに、紅葉は僅か。晴れ続きで渓谷歩きには最適。るり渓温泉前で身支度していざ、出発。 |
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通天湖。きれいな池だが、釣堀とボートがあって金網が張り巡らされていた。実はこれはダム湖なのだ。写真では見えないが中央奥の松林の蔭にお寺の屋根が見えた。 |
徒歩数分で渓流歩道への降り口。ここには付かず離れずで府道が通っている。 |
さあ、ここからるり渓の渓流探索の始まり。ちょっと調べただけで、弾琴泉(だんきんせん)、欄柯石(らんかせき)、會仙巌(かいせんがん)、水晶簾(すいしょうれん)、玉走盤(ぎょくそうばん)、双龍淵(そうりゅうえん)、渇蚪潤(かっきゅうかん)、螮蝀泉(たいとうせん)、錦繍巌(きんしゅうがん)、鳴瀑(めいばく)、座禅石(ざぜんせき)など。立て札の記録をとってないので、双龍淵以外の同定は不可能。ご覧頂く方には写真でその雰囲気を察していただくしかない。鳴瀑は岩跳びしないと撮影ポイントに近づけず、涙を呑んだことである。・・・ということで番号表示でお茶を濁した。お許しあれ。 |
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渓流壹 |
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これはダム=堰堤=から落ちる水。夏場はこの付近も子供たちの遊び場。 |
渓流貳 |
渓流參 |
渓流肆 |
渓流伍 |
渓流陸=「碁顛石(ごてんせき)」=碁盤に見立てている。 |
渓流漆 |
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渓流捌=亀岩(みたいなことが書いてあった)。左手前黒っぽいのが首か= |
渓流玖 |
渓流拾 |
渓流拾壹 |
ふと右岸側に目をやるとそこに(多分)炭焼窯跡。 |
渓流を覆う木々はようやく紅葉のトバグチ。 |
こういう色にホッとする。 |
双龍淵にある休憩所。ここでサンドウィッチの軽食。 |
渓流拾貳。るり渓の滝は総じて落差が小さいがその中で鳴瀑と並んで大きい双龍淵の滝。 |
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渓流拾參 |
渓流拾肆 |
渓流拾伍=快刀巌(かいとうがん)=(一刀石って、柳生だったかな?) |
『名勝琉璃渓』の大きな石碑。ふつう“るり”は「瑠璃」と書くが、こういう書き方もあるのだと知った。 |
「渓流歩道入口」。この標識は温泉側にもあった。でもこちら・大河内集落側がもともとの入口なのだろう。ここから引き返すにあたり過半数が府道(車道)経由を選択。 |
残るわれわれは中ほどまで渓流沿いを遡行して戻り、この標識から府道に上がる |
周囲の山々はまだまだ。紅葉にはもう少し時間がかかりそう。 |
やはり健脚組は速い。“散策”なのに“行軍”になってしまったようだ。 |
うなだれて咲くのが特徴的という、ベニバナボロギク。「名勝琉璃渓」碑に近くに群生していた。 |
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14時半るり渓温泉帰着。空は雲が厚くなっていた。 |
遅昼はねぎとろ丼とうどんというボリュームたっぷりのもの。入浴などの人は16時・17時に、早帰りの乃公は15時のシャトルバスで帰途につく。 |
歩いて探勝する渓谷は赤目四十八滝などいろいろあるが、ここには規模の大きな滝はない。しかし滑り滝の連続でそれがるり渓の特徴といえるのだろう。ヘッポコカメラマンとしては撮影時間がもうすこし欲しかった。何せびゅんびゅん歩きまくるメンバーがグループを引っ張っていたので、昼食時間の制約と併せてそれに引きずられたことは否めない。でもなかなか来れないところで、それなりに堪能した半日ハイキングであった。 |
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今日の総歩数 11,961歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |