細川神社さん、はじめまして  2010年9月28日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−7(通算8)−” ♣

5月25日、“細川さん、行き損ねたよ”と記した細川神社。阪急バスのグランドパスの有効利用と、出来て3年経つのに未だ通ったことのない箕面グリーンロードトンネル、そして歩いたことのない谷間の集落・止々呂美とどろみを歩こうと考えて今日のプランの骨子は完成。といっても行き当たりばったりなのは乃公の常で、木部へ出るまでルヒシメにありつけなかった。けっこう厚い雲が晴れたり曇ったりの状態にしてくれたが、しっかり汗をかいたハイクであった。

上止々呂美バス停付近(右岸)芋掘り農園の畦に咲くヒガンバナ。

箕面グリーンロードトンネル南入口。全長7.2km。いつもこの上や横を歩くが、潜るのは今日がはじめて。18分乗るのにバス代400円だそうな。

中止々呂美バス停。向こう左すぐ「照葉の里」箕面病院、そして箕面森町へ続く道路が見える。手前は国道423号線。ここと上止々呂美バス停の間を歩いた。

中止々呂美バス停から山(五月山)に向かうとすぐ。ひっそり鎮まる止々呂美神社。

止々呂美神社本殿(覆屋の中)。式内社ではないが、この集落の歴史とともに在り続けた古いお社であることには間違いない。

止々呂美の町角で一石六地蔵いっせきろくじぞうを見かけた。

一石六地蔵(その2)

上記同所に咲くヒガンバナ。今年は何処もヒガンバナの開花が遅い。

そして上止々呂美からバスに乗り、久安寺を飛ばして伏尾で下車。伏尾台への道である「赤い橋」を過ぎると吉田橋で、伏尾の次のバス停であった。おもわずひとりごちる。“しもうた。もう一停留所乗るんだった”。ここからはじまる細河六郷(伏尾、吉田、東山、中川原、古江、木部)は植木の日本四大産地の一つという。

吉田町の町中を山に向かうと、あったあった。 「延喜式内細川神社」の標柱が出迎えてくれた。

ここは山際でこの直ぐ向こう・社前を余野川の支流が音を立てて流れていた。

能舞台のような拝殿はこの深い木立ちの中にあって軽やかな異空間を演出しているかのようだ。向かって右奥に社号石があったらしいが見落とした。残念。

拝殿奥に本殿を望む。木の神(五十猛尊)と水の神(細川水大神)が祭神だそうだが、乃公はどちらも納得。

朱塗りの鳥居。このお社は集落の北に坐すが、正面は西南西に向いている。 攝津名所圖會に曰く 「細川神社(ほそがうのじんじゃ) 吉田村慈恩寺山にあり。延喜式内。今毘沙門天と稱し、久安寺奥院とす。毎年正月十五日富會あり。細河谷六ヶ村より支配す。」

お社を出て道なりに国道へ向かうと東山バス停。今日はあちこちで道路工事をしていた。ファミマで遅昼にし、木部の町中を旧道沿いに歩く。

と、突然こんもりとした木立ちが見え、鳥居が・・・。前に回って撮ったのがこの写真。一の鳥居の前に「天神宮」の標石。天神ということは天満宮か。

赤い二の鳥居の左の方に「紀部神社駐車場」があって暫し混乱する。“紀部=木部”に気が付いたのは帰宅してから。鳥居は細川さんと同じ「両部鳥居」形式。

紀部神社本殿。ここも覆屋で保護されているが、珍しく拝殿がない。

帰宅してから調べると木部天神社という名前も見つかった。牛の像もあったが脇に打ち捨てられていた。天神とは云い条とても菅原道真に所縁がありそうに見えない。

さらに絹延橋バス停まで歩き、そこからバスを→池田→石橋北口→千里中央→と乗り継いで帰途に着く。万歩計を忘れたことにこの頃気付いたというお粗末。※当初は賣布神社、伊和志豆神社あたりまで足を伸ばそうと考えていたが、又のお楽しみということで。

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら