北琵琶湖は♪雨だった  2010年5月11日

♣ Glee34歩こう会“奥琵琶湖を廻る旅” ♣

NHK6時50分の天気予報で滋賀県北部の降水確率が30%以上だったら本日は中止ということだった。何のなんの50%予報を聞いて寝床に入り直したら高森幹事から電話。乃公の耳にそのとき飛び込んだのは「行きましょ〜」という声 (これを寝耳に水という)。おいおい行くのンかい。(内心嬉しかったのだが)

幹事ご推奨の関西ワンデイパス金二千九百円也。これで今日一日JR関西近郊は乗り放題という。茨木→近江今津と長浜→茨木だけの利用で少々惜しかったが、それでもコーヒー2杯は飲めるだけ安くなった。

今回のプランが決まった時点で心に決めていたこと。それは今津にある かのヴォーリズ設計の建築を訪問することであった。曰く旧百三十三銀行今津支店、旧今津基督教会館、旧今津郵便局。駅からさほど遠くもなく、三つ固まっているらしいこと、現在も使われていることも魅力だった。実見して郵便局は他の二つと異なり老朽化が激しく、様式が“それ”らしくないことから打ち捨てられている様子ありありで痛ましく感じた。

ヴォーリズ設計建築物@
 建築年:大正12年(1923)
 当 初:百三十三銀行今津支店
 現 在:今津ヴォーリズ資料館

ヴォーリズ設計建築物A
 建築年:昭和8年(1933)
 当 初:今津基督教会館
 現 在:今津教会・今津幼稚園

今津教会側面。

ヴォーリズ設計建築物B
 建築年:昭和11年(1936)
 当 初:今津郵便局(画面clickで鬼瓦の〶マーク拡大)
 現 在:倉庫か?

ヴォーリズ通りの看板とランタン。
右手に十字架の上がるのが今津教会、横断歩道標識右肩瓦屋根が旧今津郵便局。今津ヴォーリズ資料館は撮影者の右手後ろと、ここに3件すべて集まっている。

今津桟橋跡地

「琵琶湖周航の歌」碑 (全歌詞)

琵琶湖汽船今津港のりば。
“先行してここで待ってるヨ”と伝えた「つもり」が行き違いで、他のメンバーに迷惑をかけた。言いそびれてました。『御免ナ!』

竹生島と葛籠尾崎つづらおざき。真ん中手前は“えり”。遠く霞むは“彦根城♪”ならぬ山本山。賎ヶ岳はその遥か左奥(見えない)。

竹生島が近付いてきた。木々は鳥、それも鵜の糞害で枯死したものが多いという。近付いて見るとひとり犯人は鵜ばかりではなさそうで、いろんな鳥が営巣していた。
ㅤちなみに竹生島の最高点は海抜197.4m、琵琶湖の湖面は86mといわれているので、湖面からの比高は約110m。

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竹生島船着場「琵琶湖周航の歌」碑。ここには島に因んだ第4節「♪瑠璃の花園珊瑚の宮/古い伝えの竹生島/仏の御手に抱かれて/眠れ乙女子やすらけく♪」が建てられていた。

更に古い石碑。右は「當嶋水際八町殺生禁断也」。そうか、それで水鳥たちも安心して繁殖するわけだ。左は“近江八景”ならぬ「琵琶湖八景/深緑 竹生島の沈影」碑。〔onmouse-高森幹事撮影〕

参道石段を登る。頭上に続くのは“結縁綱”。これが観音様の手に繋がるという。(二段下の写真参照)

竹生島宝巌寺本堂(弁財天堂)。この小さな島に豪壮なものである。

五重石塔(重文)

165段の石段は祈りの石段と言われているが、S矢君が勘定したら144段であったという。今日の遊山のうち唯一シビアな行程であった。

唐門(国宝・手前)と観音堂(西国三十三所第三十番札所・重文・奥)。折りしも結縁御開帳とて本尊の千手観音のご開帳中。全員拝観して密なる結縁を願ったことであった。

大阪城から移設されたと伝える唐門の正面

舟廊下(重文)

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都久夫須麻つくぶすま(竹生島)神社本殿(国宝)。
明治の神仏分離令までは宝巌寺と混淆して一体であったという。〔onmouse-up〕

竹生島神社龍神拝所。竹生島神社南に「拝殿」とあるので ?と思ったら、ここは龍神を拝する場所なのだそうだ。投げられたカワラケが堆くつもっていた。

竹生島(ちくぶしま) 浅井郡湖中にあり。嶋の巡り縄を(3字不明)積るところ廿一町、舟をもってめぐれば一里、水底の深サ南に八十尋、東七十五尋、東の岩下の(1字不明)に東西へ通る穴あり。水通ふと流る。穴の中熱気なり。長濱より六里。  本社 辨財天女 天降天女と号け、長立像七寸三分。一説に行基上人の作と云。延喜式 都久夫須麻神社(つくぶすましんしゃ) 宇賀神 左右二神阿吽宇賀神と称す。弘法大師の作。観音堂 四臂千手像。長六尺三寸 行基の作。西国巡礼三十番の札所。祖堂 行基大士の像を安置す。(後略)【近江名所圖會】

竹生島神社龍神拝所に満開のフジの花

再び船上の人となり午餐をしたためつつ対岸の長浜へ向かった。

 
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長浜城歴史博物館。設計図など古文書が残っていないのでこのお城は当初のものの再建とはいえないとのこと。でも展望台としてはなかなかのものである。〔onmouse-高森幹事撮影〕

長浜城歴史博物館最上層からの展望。原初の長浜城はこの先数百メートルの海中に位置していたという。

長浜駅近くの道路に飛び出してきたアマガエル

豊国神社(えびす宮)。徳川時代には商人たちが世を憚って表には恵比寿を祭り密かに秀吉像を伝世してきたという。

豊国神社前のツツジが満開だった

黒壁スクエアの中心・黒壁1號館。北国街道と大手門通りの交差点である札の辻にある。旧第百三十銀行の建物を利用した展示館。

大通寺表参道から望む山門の威容。

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長浜別院大通寺だいつうじ本堂(阿弥陀堂・重文)。ひときわ大屋根の重量感がひしひしと身に迫ってくる。

大通寺大広間(重文)〔onmouse-一息〕

大通寺含山軒がんざんけん庭園。晴れていたら真正面に伊吹山が望めるという。それでこの名前がついたとか。

大通寺太鼓楼

大通寺本堂から望む山門。当寺は2〜4月開かれる馬酔木展で有名。

風情ある大通寺表参道

曳山博物館。秀吉の時代に起源を持つという曳山祭り(4月)の曳山を収納・展示する。

旧開知学校として明治7年に建てられた。県下初の小学校であったという。長野県松本市にある重文の開智学校とよく間違えられる(のではなく乃公が間違える)。

JR長浜駅舎。数百メートル南にある旧長浜駅舎のデザインを援用しており、懐かしい雰囲気を醸し出している。

今日の総歩数 13,339歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

雨のせいもあったか参加者は6名。行程は至極にぎやかで楽しい遊山(あえてハイキングとはいいません)であった。写真づらは独行みたいに人影が少ないが、これはさえらのすしの“風景撮り”性癖のしからしむるところとお許しあれ。いろいろお気遣い願った高森幹事さんありがとう。