♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−2−” ♣
4月25日高槻から茨木の山沿いを歩いた第一弾に引き続き、第二弾としてJR茨木を起点とし、阪急茨木を抜けて淀川寄りを歩きました。最高気温30℃に達しようかという夏日、汗を拭き拭き2万5千歩を行軍したのでありました。 ♪あざやかなみどりよ あかるいみどりよ/鳥居をつつみ わら家をかくし/かおる かおる 若葉がかおる |
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茨木童子像。 |
茨木神社拝殿。ちょうど結婚式が終わったばかりで、記念写真を撮る人たちでごった返していた。拝殿には嬰児を抱いたおばあちゃんその他が昇殿していたから、多分百か日のお宮参りだったのだろう。攝津名所圖會に曰く 茨木神社(いばらきのやしろ)ㅤ同所(茨木座:編者注)にあり。祭神中央素盞烏尊、左春日明神、右八幡宮。茨木庄内上中條・下中條の生土神とす。例祭九月十日。因に云ふ、・・・(以下→ここ参照) |
天石門別神社。茨木神社の真後ろ(ホント)にあって見過ごされ勝ち。建物は至極新しいが、鰹木二本を載せた大鳥造の力強いたたずまいだ。 天石門別神社(あまのいはとわけのじんしゃ) 茨木座にあり。〔延喜式〕に出づ。此地の地主神とす。祭神豊磐間戸命。(攝津名所圖會)(赤字2020年最終修正) |
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牟禮神社。安威川堤防に沿う微高地にあるが、なんと静かなこと |
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牟禮神社拝殿。写真を撮っている間にも二、三人お参りしていた。ウォーキング、ジョギングがてらなのだろう。 牟禮神社(むれのじんじゃ) 中村にあり。〔延喜式〕に出づ。牟禮・中村等の生土神なり。(攝津名所圖會) |
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安威川堤防から遠く阿武山を望む。といっても春霞でこのサイズでは見え辛いだろうな。ほぼ中央奥なのです。 |
溝咋山浄福寺。このあたり(五十鈴町)にくると高いビルが少なくなることもあって、寺社探しには専ら“鎮守の森”的な木立ちが格好の標的となる。溝咋神社を探してまず目に入ったのがこのお寺 |
溝咋神社。上記浄福寺から南へさらに幾許か。木立ちが見えてから参道入口までしばらく時間がかかった。百メートルを超える立派な並木の参道が続く。 |
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溝咋神社本殿。溝咋神社(みぞくひのじんしゃ) 溝杭荘馬場村にあり。〔延喜式〕に出づ。目垣村・十一村・二階堂村等三村の生土神とす。[日本紀]に曰く、事代主神三島溝咋耳神之女玉櫛媛所生児。號蹈鞴五十鈴媛命。是國色之秀者。神武天皇悦之。九月壬午朔己巳納蹈鞴五十鈴媛命以爲正妃。(攝津名所圖會) |
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溝咋神社の小さな池にキショウブ、その奥にツツジが咲く。ちょうど12時過ぎで昼弁当を使いながらしばしの休憩。 |
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野々宮に坐す天満宮。ただしそばに「乙神社」の石柱が建っている。攝津名所圖會に 「野宮 島村の属邑野宮村にあり。[江家次第]に云ふ。難波三所野宮の其一なり。」とあるのに該当するか? |
葦分神社。延々40分がとこ車道を歩き、貨物線をくぐってしばらくゆくと木立が。あれだ、とばかり目指すと案の定。 |
葦分神社本殿。茨木市内、特に鉄道線より南側は条里に沿って道があり、鉄道や新しいバイパスがそれを無視した方向に走っている。わかりやすそうでいて頭が混乱すること夥しい |
佐和良義神社一の鳥居。旧茨木川堤防に位置し、今や市民のジョギングコースなど憩いの場所となっている |
佐和良義神社拝殿。 |
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なんと、佐和良義神社裏に南無妙法蓮華経を刻んだ碑が安置されていた。これって何だろう。 |
旧茨木川緑地。まず南茨木駅南西の井於神社を割愛し、ここを歩いて阪急茨木駅へ。目指すは佐奈部神社。ところがこれも見つからない。非常に大雑把な概念図しか持たなかったしっぺ返しを食らった。 |
結局それも諦めて阪急茨木からバスでJR茨木経由帰宅。 |
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今日の総歩数 不明(多分25千歩ほどか?)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |