♣ 独行“新稲・桜ケ丘・西小路コース” ♣
箕面ボランティアガイド(以下MVGと略)「箕面史跡探訪」(1)新稲・桜ケ丘・西小路コース(悠久の歴史と逸話)をなぞって歩きました。いつもいつもお世話になります。思わぬところに歴史を感ずるものが残っており、発見の多いウォーキングでありました。ガイドマップもついでに拝借(若干書き込みを致しましたが)し、親切なガイドだと感じ入りました。では。 @Aなど丸囲みの数字は、ガイドマップ上のものと同じです |
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正法寺西・箕面川沿いの遊歩道には、境内から大きなカエデの木が何本もかぶさっている。 ここには初夏ともなるとホタルが乱舞すると聞いた。 @「禅臨済宗華嶽山正法寺」山門。 Y子さん親族一同法事で集ったのも昔語りになった。 境内の樹林は保護樹林だそうな。 A徳尾の巡礼地蔵。お堂の中には石仏が並んでいた。 左前・お地蔵さん脇の石碑 「いにしえの三十三番巡禮道 巡礼道とは西国三十三番札所のうち第二十三番勝尾寺から第二十四番中山寺への道の謂いか。 山際までのぼると南望千里。 千里中央の高層ビルが良く見える。 豪壮な市民体育館(右端)と大阪青山大学の下はきれいな中池公園。 曝気用の噴水が見る人もなく盛大に飛沫をあげていた。 B新稲古墳。古墳時代後期のものという横穴式。 道路側には案内板もなくいちど見落とし、戻って漸く発見。 これ以上壊されずに雑木林の中に居てくださいと願う。 C吉田家墓地とこきんの墓。 これもわからなかった。大阪青山大の正門脇に小さい「吉田家墓地」の石標がなかったら通り過ぎているところ。 墓地は古い自然石の石碑が多く、この家の格と歴史を感じる。 墓碑には「圓覚院桂月庵知栄大姉」とあり、かの萱野三平の姉(こきん)ということである。 D布袋山栄松寺(曹洞宗)。 これも吉田家ゆかりの寺。 E新稲の愛宕社。 消防分団の格納庫と火の見櫓が併置されている。 “理屈ヨウ合うとる”。 ただ、お堂内には神将像のほか石仏も何体か置かれていた。 ♪かみさま、ほとけさま♪大事なものは所を選ばない。 愛宕社付近に咲いていた“ロウバイ”。 F新稲の一本杉と庚申塔。 奥の石碑がそれで、市内で一番古い庚申塔だという。 手前の切株が、かつて池田村まで影を落としたという一本杉。 新稲6丁目風景。 G阿比太神社。 まことに雰囲気のあるお宮さん。 式内社に詣でると何故か粛然とした気持になる。 右は社前の石標「延喜式内阿比太神社」
H桜ケ丘洋館通。 第1次大戦後、洋風の生活様式を取り入れようと住宅改善運動が起こり、大正11年、日本建築協会が住宅改善博覧会をここ箕面の桜ヶ丘2丁目で開いた。モデル住宅25戸を展示販売し、うち10戸が現存し、幾つかは文化財になっている。(MVGさんの解説を借用した) 最近風の建物が増えて行く中で“雰囲気”を残す。 I正丸稲荷社。 古墳の上にお社が作られている。 古墳の上に八幡神社か稲荷社が建てられているのをよく見聞きするが、ここもその一つ。 稲荷社裏に見える墳丘の一部。 縁はコンクリートブロックで固められ、墳頂部はシートでカバーされていた。 J親水公園(箕面西公園)。 箕面川は湾曲しながら台地を抉って流れる。その一部がこのような水辺公園化されている。 飛び石伝いに対岸に渡ったら、休憩中の小学生たちの目がテンになっていた(ようだ)。 K光明寺(浄土真宗本願寺派:山号法城山)。 MVGさんのホームページ写真では古いお寺の佇まいが感じられたが、現実はこのように“ピカピカ”の新築。最近建て替えられたに違いない。 右脇の銀杏の老木だけが歴史を主張していた。 L孝高地蔵。 中をのぞくと石仏が並んでござった。住宅造成の折、露天で祀られていたのをお堂を作って合祀したという。 通りすがりの人に全く無視されているようであった。 | |
MVGさんに一つだけ気の付いたことを申し上げます。Iの正丸稲荷社がこのガイドマップでは探せませんでした。行きつ戻りつした後、街角の案内板で漸く見つけ、辿り着きました。その位置は地図上に★印で示してあります。この前後のルートも若干変わってくるのではないかと思います。その他の表示が至極的確なのにちょっと残念でした。 |
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MVGのKntnさんからこの疑問について早速懇切なご回答を賜りました。また庚申塔の記載についてはさえらのすしの早とちりがあり(碑面を確認せず、MVGさんの誤記を鵜呑みにしました。お恥ずかしい次第です)そのご指摘と併せて深甚の謝意を表します。 |
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今日の総歩数 15,186歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |