♣ 歴史ハイキング“箸墓古墳を見ながら山の辺の道” ♣
何回も足を運んでいる南・山の辺の道。今回はゴールが巻向駅。いろいろ考えて万葉歌碑をターゲットにした。過去「万葉を歩く」にはじまり、AZハイクでも、そしてこの歴史ハイクでもよく歩く定番コースだ。それだけにテーマを持って歩かないとこの「カメラと一緒に」の編集目的が散漫なものに堕してしまう。そこを十分心して歩いたつもりなのだが、果たして? (注)例により、画面上でポインタが「指差しマーク」になったらWクリックしてください。拡大画面がご覧いただけます。 |
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桜井駅前通り。観光立国ということばを捩れば、桜井市はさだめし「山の辺立市」か。呵呵。 |
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初瀬川畔に出れば三輪山は残り紅葉の向う。 |
馬井手橋にかかると正面に「佛教傳来之地」碑。 |
♪ 夕さらばかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくしよしも(巻10-2222:作者未詳)金屋を流れる初瀬川の北堤で佛教傳来之地碑脇:筆者樋口清之 |
ここから山の辺の道に入る。石碑は左面「右三わ/なら道」右面「はせ/いせ道」。 |
金屋の街中で見かけた妙な鬼瓦。 |
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♪ 紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の衢に逢へる子や誰(巻12-3101:作者未詳)海拓榴市観音への三差路:筆者今東光 |
♪ 吾が衣色に染めなむ味酒三室の山は黄葉しにけり(巻7−1094:柿本人麿)三輪山平等寺山門すぐ:筆者林房雄 |
平等寺山門から二重の塔を望む。 |
平等寺への入口に立つ道標。左面「はつせ/いせ道」右面「三わ/明神エすく道」とある。 |
大神神社拝殿。お宮は正月の準備で忙しい。商売商売。おかげで?境内の歌碑2基探せなかった。 |
狭井神社。三輪山登拝はここから。頂上往復約2時間という。 |
♪ 狭井川畔に立つ木製歌碑“狭井河よ雲立ちわたり”。打ち捨てられて見る人だにない(見えない)。 |
♪ 狭井河よ雲立ちわたり畝火山木の葉騒ぎぬ風吹かむとす(古事記:伊須気余理比売)茅原狭井川の北側・月山邸前:筆者月山貞一 |
♪ 「味酒三輪の山・・・」額田王(巻1-17)の歌碑なのだが、オフィシャライズされていないようで、案内書にもなかった。 |
♪ あし原のしけしき小屋にすがだヽみいやさや敷きてわが二人寝し(古事記・中巻: 神武天皇)石碑休憩所果樹園の中:筆者北岡壽逸 |
竜王神社?の池から三輪山を望む。残り紅葉がきれいだ |
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玄賓庵前。ひっそり。 |
玄賓庵山門。キレイになっている。こんな「看板」以前はなかった。 |
玄賓庵から檜原神社への山道。この風情が何ともいえない。 |
♪古の人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし(巻10−1814:柿本人麿)檜原神社の南・山辺道沿い:筆者徳川宗敬 |
檜原神社。この鳥居(三つ鳥居)が大神神社の拝殿の奥にもあるという。 |
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境内を遮るように立つひもろぎ。これが鳥居の原型だというが、果たして? |
参道に白い山茶花が咲いていた。 |
井寺(下)池。堤防の向うに箸墓古墳。 |
井寺(上)池。右からの稜線が三輪山、真ん中奥が巻向山、左が竜王山。 |
♪ 大和は国のまはろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し(古事記・中巻:倭建命)井寺池を仕切る堤上:筆者川端康成 |
♪ 香具山は畝傍を善しと耳成と相争ひき神代よりかくなるらし古昔もしかなれこそ現身も嬬を争ふらしき(巻1−13:天智天皇)井寺池の北西:筆者東山魁夷 |
♪ 三諸は人の守る山本辺は馬酔木花咲き末辺は椿花咲くうらぐはし山そ泣く子守る山(巻13−3222:作者未詳)井寺川の北側の堤:筆者久松潜一 |
巻向川沿いの車谷集落の背後に竜王山が威容を誇る。 |
車谷集落には蝋梅(ロウバイ)がチラホラ咲いていた。 |
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♪ 神山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみ故に長くと思ひき(巻2−157:高市皇子)箸中車谷の山際:筆者入江泰吉 |
♪ 巻向の山辺響みて行く水の水沫の如し世の人吾等は(巻7-1269:柿本人麿)箸中車谷の道路の北側:筆者市原豊太 |
♪ 穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立つらし(巻7-1087:柿本人麿)箸中車谷の巻向川畔:筆者棟方志功 |
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なんだか竜頭蛇尾になった感なきにしもあらずだが、巻向駅の列車時刻を気にして皆さんが早足になったのは否めない。それにしても帰宅して万歩計をみたら電池切れだったという、なんとも締まらない結果に終わった。歩いた後で気付くという情けなさはこれで二度目。いよいよきたか? |
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今日の総歩数 (不明)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |