信仰の道・高野町石道  2007年5月24日

♣ 歴史ハイキング“高野町石道〜丹生都比売神社と雄大無辺の展望の道” ♣

高野山の参詣道は何十年前になるかH池さんから薦められていて、いつかは歩きたいと念じていたもののなかなか踏ん切りがつかずにいた。今回初めて知ったことだが、壇上伽藍までのフルコースで20kmを超え、その長さから普通は三つに分割して歩くのだそうだ。それにしても風情のあるいいコース。特に雨引山から上は杉・檜林の中になだらかな道が続いていた。[蛇足注:編者は〔ちょうせき〕と読みたいが、講師が【ちょういし】と強調したので取り敢えずそれに従っておく]

町石(ちょういし)は日本最古といわれる北摂勝尾寺参道のものよりスケールが大きくさすが高野山と思わせる。大別して二種類あり、古いもの(左)は文永8(1271)年建立で字体に特徴がある。折損したりしてそばに新設されたもの(右)は字体が楷書で碑の摩滅がほとんど見られない。時代が江戸時代以降に下るものと思われる。

丹生都比売(にうつひめ)神社拝殿。この山里に偉容を誇る。世界遺産。

住吉さんを髣髴させる太鼓橋

左は神池に咲くコウホネ。右はタニウツギ。 click-up

八町坂をのぼる。背後に天野の里。

二つ鳥居。町石道から丹生都比売神社と狩場明神を遥拝するポイントであったらしい。

二つ鳥居の展望台から天野の集落を一望する。風が涼しい。

北へ町石道を歩き出してすぐ目に入った百二十一町石。

古峠。ここを向こうへ降りると南海電車上古沢駅。百二十四町石がある。

百二十七町石。この町石は慈尊院から壇上伽藍へ向かってカウントダウンしているのダ。

六本杉峠。左は天野の里へ。そばにそっぽを向いて百三十六町石があった。

左はマムシグサ。右はシライトソウ。 click-up

百四十三町?

雨引山を巻くと突然紀ノ川と紀泉山脈が姿を現す。遠く和泉葛城山。

百五十七町。

展望台から高野口町と紀ノ川上流、左遥か金剛山を望む。

折り返すと眼前に大きく高野山連山。『 8月に伺います!』

百六十四町石。

左はホタルブクロ。 click-up

Sample

丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社。鳥居扁額には「丹生神社」とある。世界遺産

丹生官省符神社から慈尊院への石段途中に参詣道終点の「百八十町石」碑があった。一段と大きい。click-up

慈尊院本堂は国宝の弥勒菩薩をご本尊とするところから弥勒堂という。弘法大師御母公廟で国の重文かつ世界遺産。

慈尊院を降りてからが長かった。途中真田庵があったのだが、立ち寄る暇がなく横目に見てひたすら南海電車九度山駅目指して歩く歩く。トップで到着し、アンダーシャツを着替えるのが精一杯。お疲れさんでした。 ☆花名の同定にはK大人の示唆によるところが大きい。感謝。