♣ 独 行 “北摂の春日社落穂拾い” ♣
昨日豊川の(元須久久)春日神社で大間違いの大演説をぶっこいた反省から、今日はその汚名返上のため最近としてやや長丁場のお社巡りを計画した。幸い好天は今日で3日つづき。中国道の下を2`余り辿ることにもあまり違和感はなかった。以前伊丹から西国街道沿いに千里中央まで歩いたことがあったが、その時は道端の点景と打ち捨ててきた、そのお社群の落穂ひろいでもあった。 =千里中央=阪急豊中駅/豊中=石橋阪大前→十二神社→ |
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東今在家坐十二神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿(背面)。この地域のお社には“森”の名前が付く。当社も例外ではなく、通称「駒の森」の「十二の宮」と称する(らしい)。「十二の宮(じふにのみや) 東今在家村にあり。此邊の生土神なり。天神七代・地神五代を併せて祀る」(摂津名所図会) |
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第二次大戦中作られた防空壕の跡が残っていた。傍の銘板に曰く「この地域は大阪第二飛行場(現大阪国際空港)に近く、太平洋戦争の激化にともない空襲の可能性が高くなり、この防空壕は地域の住民の避難場所として、旧北今在家町、北轟町、西市場町の人々の手によって、昭和18年につくられました。防空壕の大きさは、おおよそ長さ10m、幅3mから4m、高さ2mのコンクリート製で、30人程度の人が避難できる大規模のもでした(後略)」 |
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十二神社から八坂神社までは中国道の北縁を辿る何の変哲もない2`余の道。途中1ヵ所陸橋があっただけ |
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八坂神社の境内は“早苗の森”とも呼ばれ大木が多い。中でも“イスノキ”は天然記念物 |
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神田坐八坂神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿(重文)。通称「早苗の森」の「神田の宮」。摂津名所図会にはこう記されている。「牛頭天王祠(ごづてんわうのやしろ) 三所あり。一は利倉村にあり。こゝに金鼓あり。鐫に曰く『明徳二年七月藤原秀安奉納』。一前は荘本村にあり。長島及び河邊郡神崎・高田・戸内等の生土神なり。一前は神田村にあり。上梁文に曰く『池田光重再建』。この神籬の森には槻の大木數本あり」 |
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境内摂社の一「九頭社/細原社」 |
同じく「稲荷神社」 |
同じく摂社9社。向かって左より2間目が春日神社 |
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春日神社祠。右はその扁額「春日大神」 |
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境内傍らの「神田の磐座」。銘板には「(前略)素戔嗚命(牛頭天王)が御降臨になった磐座と伝え」られている とある |
社前灯篭に彫られていた“牛頭天王宮”の文字が 上記「摂津名所図会」の記述を証明する |
そして社殿横(何の説明もない)の蝦蟇蛙の像が見送ってくれた。何や意味ようわからン |
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そして東口を出て真っすぐ北上。池田駅隣接ビルにイタリアンのS店があったので遅い昼餉をしたためて帰途に就く。バス停に五月が丘-呉羽の里循環バスが止まっていたので飛び乗った。呉羽の里では10分ほどで千中行きに連絡していてラッキー →阪急池田駅=呉羽の里→桜ヶ丘西=千里中央= |
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今日の総歩数 10,496 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |